那須与一口説(国は関東)
那須与一の口説は県内各地の伝承されているが、その文句はいろいろある。ここで紹介するのは、佐伯市西野に伝わる堅田踊り「男だんば」で口説かれるもの。近隣の宇山周辺の堅田踊り「兵庫節」で口説かれる那須与一とは文句が全く異なっており、こちらは国東半島一円で口説かれているものや、下関の平家踊りで口説かれているものに比較的近い。
那須与一
国は関東 下野の国 那須与一という侍は なりは小兵にござ候えど
弓矢弓手に名は萬天と のぼせ給いしところはいずこ 四国讃岐の屋島が沖で
源氏平家の御戦いに どちも勝負がつかざるゆえに 平家方なる沖なる船に
的に扇をあげたるていよ あれは源氏に射よとの的よ
「九郎判官それご覧じて 那須与一を御前に召され
与一御前にあいつめければ 九郎判官仰せしことに 与一あれ見よ沖なる船は
的に扇を立てたるていよ なれが力で射てとるならば 弓の天下を取らしょうものに
かしこまったと御前を下がる 与一その日の出で装束は 常に変わりていと華やかに
嘉珍明石の錦を召さる
「白糸緋縅の鎧着て 青の名馬を駒引き寄せて
手綱かいとりユラリと乗りて 小松原より波打ち際を しんずしんずと歩ませければ
四国讃岐の屋島が沖は 風も激しく波高ければ 的の扇も矢に定まらぬ
そこで与一が観念深く 南無や八幡那須明神よ どうぞこの的 射させて給え
祈請かくれば屋島が沖は 風も治まり波鎮まりて 神の功力か矢に定まりて
切りて放せば扇の的は 風に誘われ二舞い三舞い 沖の平家が船端叩く
陸の源氏は箙を叩く
「那須の高名 数多かれど 与一功名はまずこれまでに