兵佐口説

怪談ものの一つで、おぜんが呪いの釘を鍛冶屋に頼むくだりなどは、俊徳丸など他の口説にも似たような場面が出てくる。兵佐の断り方は確かに情け知らずかもしれないが、この程度で呪い殺されるとは、全くついていないとしか言いようがない。

 

兵佐

 

恋の一念 恋慕の病 若い女が大蛇となりた それはいずくと尋ねて訊けば

国は石見の津和野の城下 佐々木伊兵衛という侍に 一人息子で兵佐というて

なれど兵佐はきれいな生まれ 目元口元襟立ちぬんで ことに鼻筋ゃ五三の器量

大小指し振り袴の着振り いくらお江戸の絵描きでさえも 兵佐姿は似せ書きできぬ

今度津和野の若殿様が 初のお登り兵佐がお供 兵佐お供で町中動く

我も俺もと餞なさる それの中にも恋する者は 今度本町二丁目筋よ

角の桝屋という町人の 二番娘におぜんというて なれどおぜんはきれいな娘

目元口元襟たちぬんで ことに鼻筋ゃ五三の器量 立てば芍薬座れば牡丹

歩む姿がいと百合の花 そこでおぜんが思いしことにゃ わしも兵佐に餞せんと

綾地五尺を中染め分けて 丸にヤの字の定紋入れて これは道中上帯なりと

硯引き寄せ墨すり流し 鹿の巻筆こすきの紙に 鹿の巻筆いと細やかに

思う恋路をさらりと書いて 書いてしたため〆しておいて 人に頼りて兵佐に贈る

兵佐手に取り開いてみれば さても良い手じゃ良い筆筋よ 文の文言面白けれど

花のお江戸に赴くからは あとに恋路はいらざるものよ 鹿の巻筆墨含まして

思い切れとの添書きなさる すぐにその文おぜんに返す 家じゃおぜんがうち喜んで

やれ嬉しや返事の文よ おぜん手に取り推し戴いて すぐにその手で開いてみれば

これはわが手でわが書いた文 すそに一字の添書きもない 思い切れとの添書きござる

そこでおざんが目に角立てて わしの身はまた細谷川の 丸木橋かな踏み返された

文を返されそのまま置くか 色にゃなれぬが侍たちか ただし私は町人の子と

見下げられたかさて残念じゃ 女の一念岩をも通す 石で固めた兵佐じゃとても

呪いかけたら呪わずおくか 落としかけたら落とさずおくか そこでおぜんが腹をば立てて

そこの近所に鍛冶屋がござる 鍛冶屋方へとちょこちょこ走り 御免なされと戸を引き開ける

またも御免と腰うちかける 誰かどなたかおぜんじゃないか たまなお出でじゃお上がりなされ

煙草盆出すお茶汲んで出す お茶も煙草も所望じゃないよ もうしこれいなお鍛冶屋さんよ

私ゃあなたに御無心ござる 言うたら叶よか叶えてくりょか 何度言わせぬ叶えてあげる

言えばおぜんがうち喜んで そこでおぜんが申せしことにゃ もうしこれいな御鍛冶屋さんよ

四角八角まん丸の釘 先に少しの鋼を入れて 少しばかりのかかりをつけて

帽子ない釘三十と五本 打って下んせ御鍛冶屋さんよ 言えば鍛冶屋が飛びたまがりて

何と言うぞえこれやいおぜん 親の代から鍛冶屋はすれど 家釘鉛釘鍛冶屋のならい

帽子ない釘人呪う釘 そんな釘ならわしゃ打ちませぬ 他にだんだん鍛冶屋がござる

そこらに行ってお頼みなされ 言えばおせんが目に角立てて 何と言うぞやこれやい鍛冶屋

人に大事を語らせおいて 打ってくれぬはそりゃ胴欲な 大工さんには釘頼みゃせぬ

木挽さんにも釘頼みゃせぬ 鍛冶と見りゃこそ釘頼むのに 打って下んせこれ鍛冶屋さん

そこで鍛冶屋が理に詰められて 理には詰められのっぴきならぬ なんとこれいなこれのうおぜん

帽子ない釘値が高うござる 帽子ない釘打ちたるなれば 鍛冶屋これきりやめねばならぬ

小判四十両はなくては打たぬ そこでおぜんがにっこり笑う 小判四十両は右から左

言えば鍛冶屋がにっこり笑う 朝の六つからふいごをかしげ ふいごかしげて炭かきくべる

炭をかきくべ鉄投げくべて 洗い手水でわが身を清め 天を見上げて祈祷をかける

これを打ちつけ呪われる人 誰かどなたかわしゃ知らねども 鍛冶を怨みと思わぬように

鍛冶は商売打たねばならぬ ソレチンカラリンと鎚打つ音は 天に聞こえて地に鳴り響く

一本打っては南無阿弥陀仏 二本打っては南無釈迦如来 三十五本を念仏唱え

打ちて磨いて紙には包み 紙に包んで盆にと載せて おぜん前にと差し出しました

そこでおぜんが申することにゃ 僅か知れたる三寸釘に 小判四十両は取られはすまい

そこで鍛冶屋が申せしことにゃ 小判四十両が高いとあらば 釘を私にお返しなされ

金はそちらにお返し申す 言えばおぜんが申せしことにゃ 小判四十両払うてやるが

そこで祝儀が不足であれば わしが参りてまた戻るまで 待って下んせ御鍛冶屋さんよ

そこでおぜんがうち喜んで やれ嬉しや釘うち貰うた そこでおぜんはその場を出づる

わが家近所に絵描きがござる 絵描き方にとちょこちょこ走る ご免なされと戸口を入る

もうしこれいなお絵描きさんよ 二人ばかりの男の姿 描いて下んせお絵描きさんよ

言えば絵描きはそれ請け負うて 紙に封じて盆には載せて おぜん前にと差し出しければ

やれ嬉しやお絵描き貰うた そこでおぜんが申せしことにゃ もしこれいなお絵描きさんよ

ご縁あるならまた逢いましょと 包み祝儀でその場を出でて さあさこれからお祇園様よ

急ぎゃ早いもの氏神様の 参りゃ左の大黒柱 兵佐姿を逆貼り付けて

胸に七本あばらに四本 足の節々手の節々や 急所急所にみな打ちまわす

両の眼にはっしと打ちた どうでも盲になれとの釘よ そこでおぜんは打ち喜んで

やれ嬉しや釘打ち済んだ 急ぎ急いでわが家へ帰る わが家帰りてわが部屋入る

そこでおぜんが支度をなさる 宵に結いたる島田の髷を 文殊四郎という剃刀で

ぱっと払えばあどまで落ちる 頭に瓔珞あれ下げてから 一反木綿を地に引こずりて

夜は九つ夜半の時刻 さあさこれから丑の刻参り やれ嬉しや丑の刻終うた

そこでおぜんが頼みをあげる もうし氏神お祇園様よ 江戸にましますあの兵佐めが

焦がれ死にをばなされるように 頼みまするぞお祇園様よ そこでおぜんがわが家に帰る

わが家帰りてわが部屋入る そこでおぜんは書置きなさる もうしこれいな両親様よ

過ぐるご恩もお返しせずに 先立ちまするも不孝な者よ 許し下され両親様よ

そこでおぜんが思いしことにゃ 人を怨めば穴二つある 人を呪うて生きてはおれぬ

部屋の扉をひっしと閉めて そこでおぜんは死に装束よ またもおぜんは白装束に

四方の隅には蝋燭灯し 文殊四郎という剃刀で 花のおぜんは自害をなさる

自害なさりて早夜が明ける おぜん両親それとは知らで 部屋に来てから戸を引き開ける

そこで両親驚くことにゃ これはどうしょうこは何としょう おぜん死骸にただ泣きすがり

一家一門みな打ち寄りて もうは嘆くな両親様よ いくら泣いても嘆いたとても

死んだおぜんは帰りはすまい 野辺の送りをいたそじゃないか 津和野の町なら大工を寄せて

切ってきざんで棺こしらえよ 棺は立棺七重に張りて 幡や天蓋龍々までも

何かに揃えてきれいなことよ 野辺の送りをいたすとなれば おぜん体に大熱がさす

やれ天から黒雲下り 棺を蹴破り雲にと乗りて 箱根八里は蛍で渡る

大井川をば大蛇で渡る ちらりちらりとお江戸に上がる 広いお江戸を尋ねてまわる

たどり着いたは津和野の屋敷 ここが津和野のお屋敷なるか 一の門越え二の門越えて

三の門越え兵佐の寝間よ 兵佐寝間をば七巻半に 六枚屏風に首うちかけて

兵佐兵佐とゆさぶり起こす 言えば兵佐が夢驚いて 前に立つのは変化か魔物

変化でもない魔物でもないが 私ゃ津和野のおぜんでござる 津和野おぜんは死んだと聞いた

生きて貴殿を迎えにゃ来ない 死んで貴殿を迎えに来たぞ そこで兵佐が飛びたまがりて

切って払えばばっさり消える 秋の稲妻川辺の蛍 そこで兵佐は病の床に

祇園様にと願いをあげる 祇園様より良い卦が下がる 佐々木伊兵衛の一人の倅

ここで殺せば犬死にとなる 連れて帰れよ早国許に そこで村人支度をなさる

駕籠に八人 お医者が二人 右と左に守役ついて 急ぎ急いでお江戸を発てど

哀れなるかや兵佐の助は 長の道中で相果てました