那須与一口説(その名振り出す)

那須与一の誉れの的射の話は大分県下一円で大変人気があったと見えて、今でもあちこちの盆踊りで那須与一が盛んに口説かれている。その文句は数種類あるようだが、ここに紹介するものは、国東地方および速見地方で親しまれていたもの。特に西国東地方で、レソの節で盛んに口説かれている。

 

那須与一

 

その名振り出す下野の国 那須与一の誉れの的射 背は小兵で候いけれど

積もる御年数えて十九 さても所はいずくと問えば 四国讃岐の八島が浦で

源氏平家の御戦いで 沖に平家の漕ぎ寄る舟に 的に扇を立てさせ賜い

沖で平家が船縁叩きゃ 灘で源氏は弓矢を鳴らす 九郎判官あれご覧じて

与一与一と呼び出したもう 九郎判官かの義経は 那須与一を御前に呼びて

あれに立てたるかの扇をば 敵と味方に見物させて 矢ごと通して射て放てやと

与一元々正直者で 主のご意見嫌とは言えず 聞いたばかりでお受けを申す

御前下がりて早立ち帰り 与一その日は常とは違い 家人託しの錦を召して

浅黄錦の直垂召して 白糸威しの鎧を召して 陣屋威しの兜を召して

弓は重籐桐生の矢筈 黒き名馬の駒引き寄せて 手綱かい繰りヒラリと乗りて

小松原へと乗り入れたもう バサラバサラと波打ちぎわで 駒を止めおき沖眺むれば

風は激しく波高くして 的の扇は定まりもせず 与一その日の正願立ては

南無や源氏の八幡様よ 力得させてかの扇をば 射させ賜えと念願深く

神の御利益新たなものよ 風は治まり波穏やかに 的の扇も遙かに見ゆる

弓を手に取り矢筈をはめて 引いて放てば矢は過たず 要所をムンズと射抜く

扇大事は要でござろ 要打たれて骨パラパラと 的の扇は波間に落ちる

潮に揉まれて早岸に着く 沖で平家が舟べり叩きゃ 岸で源氏が弓矢を鳴らす

名誉誉れは世々多けれど 与一功名限りはないぞ 勇み立ちたる平家の武者は

怒り励みて押し寄せて来る 九郎判官かの義経は 平家勢をばものともせずに

海の彼方に追いつめ立てる かよて判官弓をば落とし 潮に揉まれて流るるばかり

そこのところが見えてか平家 己判官逃せはせじと 平家方なる教経卿は

弓を手に取り矢筈をはめる 既に判官げに危うけり そこの所に出でたる武士は

花の小桜栗毛の駒に 手綱かい繰りひらりと乗りて 軍所所に早や辿り着く

これぞ若武者何人なるか 言うも愚かや奥州の国 佐藤の庄司兄次信よ

君が矢面立ちはだかりぬ 勇み立ちたる教経卿は 弓に矢をつぎ矢筈をはめて

引いて放てば矢は過たず 兄の次信胸板射抜く 平家方なるかの菊王は

敵の首をばひとたりなりと 打って取らんと船から降りる 弟忠信菊王を討つ

そして忠信兄助けんと 兄の元へと早駈けり着く 兄は射抜かれ血潮に染まり

元が剛毅の兵なれば 弓に矢をつぎ二三度四五度 引けど悲しや放たれもせず

目元霞んでうち臥しにけり 弟忠信兄次信を 抱き揺りて声限りにと

兄じゃ兄じゃと呼んではみても 兄の次信答えもしない 月に群雲花には風か

命散らして八島が浦の 海の藻屑となりにけり