賽の河原口説

 

月に群雲 花には嵐 釈迦にだいばや太子に守屋 さらば皆さん御聞きなされ

定め難きは無常の嵐 散りて先立つ習いと云えど まして哀れは冥土と娑婆よ

「賽の河原に止めたり 二つや三つや四つや五つ

 十より下の幼児が 朝の日の出に手に手を振りて

人も通わぬ野原に出でて 山の大将は我一人かな 云うもありまた片ほとりには

土を運んで上りつ下り 石を運んで塔築く塔は

「一丈築いては父のため 父の御恩と申せしは

 須弥山よりも高くして 言葉に何か述べがたき

 二丈築いては母のため 母の御恩と申せしは

 恵の恩の深いこそ 蒼海よりも深いぞえ

 三丈築いては

主従兄弟我が身のためと いずれ仲良く遊びはすれど 日暮れ方にはもの寂しさよ

父をたずねて姥こいと呼ぶ 声は木霊に響き立つ 恋したちまちあわきと云えど

役の塔をも築ごうとすれば ここに邪険なあくどい鬼が 何を遊ぶや子供や子供

「鏡照る日の眼の光 築いた岸をも早や引き崩し

 何処ともなく失せにける かかる嘆きのその折節に

地蔵菩薩が現れ給い ここへ来いとて衣の袖を かざし給えば皆取りついて

透かし給えばおことら顔よ 顔をさすりつ髪なで下げる 地蔵菩薩に取り付き嘆く

共に涙の御暇よりも 父さん母さん何故ござらぬか 我に預けしよりも当娑婆にて

「帰りを待つぞ去りながら 罪は我人ある習いじゃが

殊に子供のその罪咎は 母の胎内十月が間 苦痛様々この世に生まれ

四年五年また七つ年 成るや成らいで今帰るゆえ 賽の河原に迷い来る

父はなくとも母見えずとも 我に頼めど叶わぬ浮世