志賀団七口説

この口説は専ら「団七踊り」の際に口説かれた。団七踊りとは3人組になって竹刀などの棒を打ち合いながら踊るもので、かつては大分県下で大変流行し、特に大野地方では盛んに行われていた。今でも方々に伝承されているが、往時の勢いはない。したがって、この口説も昔ほどは聞かれなくなってきている。

 

 

志賀団七

 

頃は寛永十四年どし 父の仇を娘が討つは いとも稀にて世に珍しき

それをどこよと尋ねて聞けば 国は奥州仙台の国 時の城主に正宗公と

家老片倉小十郎殿と 支配間なる川崎街道 酒戸村とて申せしところ

僅か田地が十二国高 作る百姓に名は与茂作と 娘姉妹持ちおかれしが

姉のお菊に妹のお信 姉が十六その妹が ようよう十三蕾の年よ

頃は六月下旬の頃に ある日与茂作打ち連れ立ちて 至るところは柳が越よ

柳越にて田の草取りよ 草は僅かの浮き草なれど 稲の袴や無常の風や

触れば落ちる露の玉 死する命を夢にも知らず 姉が唄えば妹が囃す

流行る小唄で取る田の草を 道の街道にみな投げ出だす 通りかかるは団七殿よ

通り合わすを夢にも知らず 取りし田の草また後投げよ 投げたその草団七殿の

袴裾には少しはかかる そこで団七大いに怒り そこな百姓の土百姓奴郎が

武士に土打つ例があるか 斬りて捨てんと大いに怒る 親子三人それ見るよりも

小溝上がりて両手をすすぎ 道のかたえに両手をつきて 七重の膝を八重に折り

姉も妹も父与茂作も 拝みますると両手を合わせ ようようこの娘が十三なれば

西も東も知らざるものよ どうぞ御慈悲にお助け召され 云えど団七耳にも入れず

日頃良からん若侍で 心良からぬ団七ならば すがり嘆くを耳にも入れず

二尺五寸をすらりと抜いて 斬って捨てんとひしめきかかる 斬ってかかれば父与茂作も

何をなさるぞ団七殿よ わしも昔は武士なるぞ 出羽の家中の落人なれば

むざに御前に打たれはすまい 云うて与茂作鍬とりて しばし間は戦いなさる

むこう若武者身は老人で 腕が下りて目先がくらみ 右の腕の拳が緩み

持ちた鍬をばカラリと落とす 哀れなるかや父与茂作は 畦を枕に大袈裟斬りよ

それと見るより姉妹子供 八丁ばかりの田の畦道を 命からがら逃げふせければ

後で団七思いしことは あれを生かせば以降の邪魔よ 後を慕いて追いかけみれば

娘姉妹行方は知れず 行方知らねばままにはならぬ 血をば拭き取り刀を鞘に

己が屋敷に立ち返りしが 後で哀れは姉妹娘 われに返りてただ泣くばかり

母もそのとき大病なれば 重き枕をようやく上げて ここは何事こは何とする

委細語れや姉妹娘 言えば姉妹顔振り上げて 今日の次第を細かに語る

それとみるより母親様は はっと想いし気は仰天の 気を揉み上げて胸鬱ぐ

いとしなるかや母親様に 呼べと叫べど正体もない 娘姉妹それ見るよりも

母の閨にて立ったり居たり 母もそのとき相果てければ 泣きつ嘆きつ正体もない

隣近所がみな集まりて ともに涙の袖をも絞る もはや嘆くな姉妹子供

なんぼその様に嘆いたとても 最早父母還らぬものよ 野辺の送りを急いで頼む

野辺の送りを頼むとあれば お寺様にも届けにゃならぬ お寺様より十年回向

「四度も三度も六度も 回向するのも父母のため

 正体なくも姉妹は 親に一生の泣き別れする

急ぎ給えば山入りなさる 後に哀れは姉妹娘 二人ながらに身はしょんぼりと

そこで姉妹思案を返す 姉のお菊のさて申すには なんと妹思案はないか

どうとしてなりあの団七を 仇討つなら父親様も 怨み晴らして成仏致す

言えばお信の申せしことは それは姐さん良い思いつき わしもとうからそう思います

ここで剣術指南はできぬ 広いお江戸に上ったうえで 名ある家にて師匠を取りて

武芸稽古を致そうでないか 云えばお菊の打ち喜びて さあさこれから仕度をせんと

手布衣 手拭 水足袋 脚絆 何か揃えて見事なことよ

「恵みも深き父母の 父の位牌はお菊が守る

母の位牌はお信が守る ここに哀れは姉妹娘 知らぬお江戸をたずねて上る

尋ね尋ねてお江戸に着いて 天馬町にて投宿いたす

「浅草辺や上野辺 芝居神明その茶屋茶屋を

尋ね廻るはもし御家中の 名ある茶屋には早や立ち寄りて 御問ござんす御亭主様よ

私ゃあなたにもの問いましょう 江戸の町にて剣術指南 一と申せし御方様よ

云えば亭主がキャラリと笑う 愚かなるかよ江戸洛中は 十里四方が四方が四面

町が八百のう八丁町 およそ日ノ本六十余州 大名揃えて八百八大名

それに旗本また八万騎 それに付き添う諸侍方 誰を一ともまた上手とも

教えがたないとは言うものの 当時名高い四五人あるを 教え聞かすぞよう聞け娘

剣術一の達人は 柳生十兵衛但馬守よ 軍学流のその名人は かたぎょ淡路の御守様よ

棒の名人許しを取りて 名ある中にも阿部十次郎と 槍は山本伝兵衛様よ

長刀手裏剣その名人は 万事終えたるその名人は 江戸の町にてその名も高き

榎町にて由井昌雪と これを訪ねて行かれよ娘 言えば姉妹打ち喜びて

さらばこれから昌雪様の お家御門を御免と入る お家ござんすお旦那様よ

五年奉公よろしく頼む 教え下され武芸の道を 言えば昌雪さて申すには

国はいずくで名はなにがしか 委細語れや姉妹娘 言えば姉妹泣き物語り

国は奥州仙台の国 家老片倉小十郎様の 知行内なる川崎街道

酒戸村とて申せしところ 僅か田地が十二国高 作る百姓に名は与茂作と

今年六月下旬の頃に 不慮なことにて父をも討たれ 忘れ難ないその残念さ

何卒あなたの御慈悲をもちて 親の仇を討たせて給え 云えば昌雪さて申すには

これはでかした姉妹娘 親の仇を娘が討つは さても稀にて世に珍しや

五年奉公致せよ娘 昼は炊事の奉公致せ 夜は部屋にて剣術致せ

さあさこれから朝夕ともに 武芸大事と心にかけよ 云うてその場で名を召しかえる

姉を宮城野 妹を信夫 姉に神鎌また鎖鎌 白柄長刀 妹の信夫

そこで姉妹心を入れて 武芸稽古を励まれまする 月日経つのは間のないものよ

最早武芸も五年に及ぶ ある日昌雪あい心見に 娘姉妹小坪に呼んで

名ある落人四五人呼んで 姉と妹を仕合せみれば さすが名高い四五人共は

姉と妹に打ち伏せらるる そこで昌雪打ち喜んで 最早さらさら気遣いはない

早く急いで本国致せ 祝儀餞別 白無垢小袖 姉に神鎌また鎖鎌

白柄長刀 妹の信夫 これを昌雪餞別とする 道を見立てるそのためとして

一に熊谷三郎兵衛なるぞ 松田弥五七坪内但馬 これを三人あい添え下す

名残り惜しさに姉宮城野が 信夫涙の袖をも絞る

「我が故郷は奥州の 人の便りで白石城下

尋ね尋ねて片倉様の 御家御門を御免と入る 御免なされやそれがし共は

江戸の町なる由井昌雪の 家来熊谷三郎兵衛なるぞ 松田弥五七坪内但馬

これな娘はこの御領内 酒戸村なる与茂作娘 今を去ること五ヵ年以前

これな御家中の団七殿の 御手にかかりて無念の最期 仇討たんの存念ありて

五年この方匿いおいた 何卒あなたの御慈悲をもって 父の仇をお討たせなされ

それと聞くより小十郎様は すぐにそれより御登城なさる 登城いたされ御公儀様に

申し上げれば御公儀よりも 父の固きを娘が討つは さても稀にて世に珍しや

国の面目世の外聞に 仇討たせとその御意下る 仰せつけられ片蔵様は

はっと答えて御殿を下る 仇討ちなら用意の場所は 場所を改め白石河原

三十一間四面の矢来 真正面には検査の御小屋 大木隼人や名は兵衛様

それに御目付玉之守というて これがこの日の検査の役よ 警護の侍八十人よ

これに足軽三百五十 矢来周りの固めの役よ 最早日にちも相定まりて

五十四郡に回状廻す それと聞くより近国他国 老と女の差別も知らず

「集い来たるは野も山も 里も河原もその数知れず

雨の足をも並べた如く それに団七姉妹娘 御上様より御念のために

着たる衣装を改め見んと そこで団七改め見るに 鎖帷子肌には着込む

何と団七武士なる者が 鎖帷子肌には着るな 卑怯千万早や剥ぎ取れと

矢来間にて剥ぎ取られます 娘姉妹改め見るに それら娘にそのものはない

御上様より合図の太鼓 それと聞くより妹の信夫 白柄長刀小脇に持ちて

小褄かいとり早や進み出で もうしこれいな団七殿よ 覚えあるかや五ヵ年以前

酒戸村なる与茂作娘 元を質せば我が身のしなし わしの怨みのこの切先を

不肖なれども受け取り召され 云えば団七きゃらりと笑う 覚えあるぞや五ヵ年以前

無礼せしゆえ斬り捨てたるに 仇討ちとは片腹痛い 返り討ちどや一度にかかれ

云えば信夫が申せしことは 何を云わんす団七殿よ 針は細いでも飲まれはすまい

山椒胡椒は細いが辛い 関の小刀身は細けれど 綾も断ちゃまた錦も切れる

そんな高言勝負の上と 白柄長刀両手に持ちて 斬ってかかれば団七殿は

二尺一寸さらりと抜いて しばし間は戦いなさる 御上様より休みの太鼓

それを聞くより姉宮城野が 鎖鎌をば両手に持ちて 鎖鎌なら一尺二尺

金の鎖に鉛の分銅 含み針をば三十五本 しばし間は戦いなさる

運のつきかや団七殿は 両の眼に三本打たれ 是非に及ばず死に物狂い

それと見るより妹信夫 白柄長刀両手に持ちて 眼にもとまらず首打ち落とす

姉の宮城野妹の信夫 親の仇をとうとう晴らし その名響くは海山千里

親の仇を討ちたる娘 世にも稀なる孝女の誉れ 語り伝えんいつの世までも