石堂丸口説
全国各地で親しまれている盆口説だが、その文句は各地各様、長いものも短いものもあるようだ。大分県内でも各地で口説かれているが、地域によって文句にかなりの差異がある。ここにあげたのは一例で、ほかのものもネット上で紹介されているので検索してみて下さい。
石堂丸
月に群雲 花には嵐 加藤左衛門繁氏様に 蛇がからんで二匹となりて
障子に映りし女の嫉妬 驚き給いし繁氏様は 妻も側女も振り捨て給い
高野のお山へ登らせ給い 時の御台の千里の姫が 身重なりしが十月となりて
玉のようなる男の子供 これぞ議題の石童丸ぞ 流れ流れし月日は早い
やがて石童が十四の春に 親に焦がれて高野の父ぞ 逢いたい見たいのその一念で
母を伴い手を取りあえば 慣れぬ旅路の石童丸も ついに高野の麓に来れば
明日はお山に登らんものか 日頃夢見し高野の父に お顔見んとて心が弾む
ここに哀なれその物語 聞いて驚き二人の前に 宿の亭主は両手をつかえ
申しあげます旅人様よ 高野のお山のその掟には 弘法大師の戒めありて
女人禁制の定めが御座る 聞いて二人が涙に沈む これは何事我子の袖に
情けないぞや石童丸よ 母はお山へ叶わんときに そなた一人でお山へ登れ
聞いて石童が涙をこらえ 母に暇を告げさせ給い 登り疲れし石童丸は
石を枕でその夜は明かし 父のありかを尋ねて見れど 父かと思う人にも会わん
やがて向うの無明の橋に 苅萱道心繁氏こそは 我子知らずに寄り添い来たる
見上げ見下ろす親子の顔が 袖と袖とが交わりたれど 親子名乗りは修業の邪魔と
心誓いし左衛門なれば 探すそなたの父親こそは 今はこの世の人ではないと
涙こらえて我子を帰す 聞いて石童只泣くばかり 哀れなるかや高野を下る
やがて玉屋のお茶屋に来れば 母は空しくあの世の人に 前後忘れてあの母様よ
神も仏も見離されしか 形見残りし黒髪抱いて 天を仰いて心に想う
母もなければ父親とても 最早尋ねる人さえない身 情け下さる高野の人を
尋ね行くより詮ないものと またも石童は高野の山へ どうぞお弟子にして下さいと
一部始終を涙で語る それを聞いたる繁氏様よ 哀れ我妻仏となれば
今は我子と名乗らんまでも 口に言わねど心の内に 師匠と弟子との誓いを立てて
諸国修業の親子となりて 命あるまで我等がために 御化導下さる念仏門が
今も残りし高野の山に 親子地蔵さんその物語