旧お為半蔵口説
こちらの「お為半蔵」は、主に津久見市や上浦町に伝承されている。佐伯市のものと筋は同じだが分量がやや少なく、素朴な感じがする。蒲江の口説本に旧お為半蔵として載っていたところをみると、こちらの方がより古いものなのだろう。
旧お為半蔵
国は豊州 海部の郡 佐伯様なるご支配内に 村を申さば宇山の村よ
小村なれども宇山は名所 名所なりゃこそお医者もござれ 医者のその名は玄了様よ
親はこの世の油火なるが
「明りも高き行灯の 消ゆる思いの玄了様よ
世取り息子は半蔵というて 年は二十三できれいな生まれ なれど半蔵は洒落者なれば
襟を着重ね小褄を揃え 裾に白足袋 厚皮雪駄 しゃららしゃららで月日を送る
なれど半蔵は利発な生まれ 親の手筋を早や習いこみ 匙もよう利く見立ても当たる
町も田舎も津々浦々も かかる病気は半蔵が治す それに恋する女もござる
同じ流れの川下村で 潮の満干を見る柏江の 渡り上りにハキショがござる
ハキショその名は流正院と 流正院とぞ呼ぶ山伏の 妹娘にお為というて
年は十九できれいな生まれ なれどお為は洒落者なれば 襟を着重ね小褄を揃え
裾に白足袋 厚皮雪駄 しゃららしゃららで月日を送る なれど柏江舟着きなれば
旅の船頭が数入りこんで お為お為と毛草もなびく それに半蔵が想いを懸けて
いつかどうぞと思いはすれど 人目しげげりゃ逢うことならず 来たる正月二十八日は
龍宮様なる初御縁日 我も俺もと参詣なさる お為出て来る半蔵は参る
道のすりあいお為に出会い しかと手をとりこれ為さん わしは真実お前のことを
寝ては夢に身覚めては想い 想い暮して照る日も曇り 冴えた月夜もまた闇となる
どうぞ一夜の迷いの雲を 晴らせ給えやのうお為さん 云えばお為がさて申すには
物の数にもたらわぬ私 誠真実それほどまでに 言うてくれるは嬉しいけれど
推量なされて半蔵様よ 幼少時より母上おくり 今日が日までも父上がかり
親が出さねば身は籠の鳥 籠の鳥なら身はままならず 他の御用なら如何様な儀でも
云うてござんせ叶えてあげる 色の道ならお許しなされ 田舎育ちでその道ゃ知らぬ
云えば半蔵がさて申すには 物の例えを引くではないが 昔お釈迦が七十三で
玉の妃の小夜照姫に 恋をなされた例もござる まして空行く七夕様も
川を隔てて恋路をなさる 草に蛍が止まると云えど 草に心は少しもないが
露に心がありゃこそ止まる 梅に鶯止まると云えど 梅にゃ心は少しもないが
花に心がありゃこそ止まる 鮎は瀬にすむ鳥ゃ木の枝に 人は情けのその下に住む
私はお前の寝る部屋に住む どうでござんすのうお為さん 云えばお為が理につめられて
晩はござんせ私の部屋に 云うてお為は我が家に帰る 半蔵それよりお為が許に
三月四月は忍びて通う 忍ぶ恋路にゃ難所がござる 義理のしがらみ人目の関所
関所守る目の赦さぬものは 恋の闇路に身を紛らせて 上辺世間を忍ぶとすれど
忍びゃ忍ぶほど浮名は立ちて
「阿漕ヶ浦で引く網は 一度がままよ二度がまま
二度が三度と度重なりて 宵に吹く風 朝吹く嵐 広い堅田を早吹きまわす
そこら界隈 東に西に どこの里でも三人寄れば 噂話はお為に半蔵
それを宇山の両親様が 人のことかと立ち寄り聞けば 聞けば我が子の半蔵がことよ
我が子半蔵に意見をせんと 奥の一間に半蔵を呼んで 半蔵よう聞け大事なことよ
そちとお為はよい仲じゃそな 仲がよいとて嫁には取らぬ 器量は良うてもありゃけんさいの
医者と山伏ゃこの家にゃ不吉 そなた一代添わせる妻よ かねて見立てて定めし者は
灘の鳥越 従妹のお繁 これがお前の一代の妻 云えば半蔵は腹をも立てて
好かぬお繁と一代よりも 好いたお為と死んだがましと 云うて半蔵は我が家を出づる
しゃならしゃならと柏江村に 見れば見渡す棹差しゃ届く お為お為と二声三声
云えばお為が早や聞き付けて 誰かどなたか半蔵さんか いつも早いに今宵は遅い
何か仔細のありそな顔よ 様子あるなら早や語らんせ 云えば半蔵がさて申すには
わしは宇山の両親様に きつい意見で辱められた どうせ御前とこの世じゃ添えぬ
わしは冥土に行きますほどに 御前この世に生き永らえて 茶の湯茶水の御回向頼む
云えばお為がさて申すには 御前死ぬるもみな私ゆえ 御前冥土に行きますなれば
道のお邪魔にゃなりましょけれど わしも冥土のお供がしたい 云えば半蔵が打ち喜んで
さても届いたお為が心 されば死ぬ日を決めねばならぬ 死ぬる約束いたしておいて
急ぎ急ぎで我が家に帰る 我が家帰りて書置きせんと 硯引き寄せ墨すり流し
鹿の巻き筆こすきの紙に
「まず一番の筆立は 許し給えや両親様よ
二十二歳は今日今までも いかいお世話に相なりました わしはお為と死にますほどに
二つ同行にほりけてたまえ 今年の暮れが来たなれば 貰いしお繁を呼び寄せて
養子貰うて半蔵と思え 家も遣ろうし世も譲ろうし 思う書置きさらばと書いて
書いてしたため封じておいて 硯下には大事となおす さあさこれから死装束よ
下に着るのが白地の綸子 上に越後の白帷子を 着けて締めたる博多の帯よ
二尺一寸落としにゃ差いて 鉄砲かついで我が家を出づる お為その日の死装束よ
母の形見の大振袖に 上に七二の高貴の縞よ 帯は当世流行の帯を
三重に回して矢倉に上げて トンと叩いて後ろに回す 銚子盃袂に入れて
寝茣蓙をかついで後田の ここは田の畦転ぶお為 転ばしゃんすな半蔵さんよ
植えたる稲は穂に出たが 私と御前はいつ世に出ろか お為云うな云うなみな後事よ
そうこうする間に蛇崎越えて 向こうに見ゆるが城山峠 人のためには中山峠
わしと御前は剣の山よ 広い峠に赤松ござる 松の根元に茣蓙打ちはえて
銚子盃早や取り出だし そこで二人が死に盃よ 半蔵飲んではお為に渡す
お為飲んでは半蔵に返す 差いつ差されつ末期の水よ これがこの世の限りと思や
さすがお為は女の情に 涙抑えて半蔵に向かい こんな儚い二人が最期
遂げよと知らせの正夢なるか
「正月二日の初夢に わしがさしたる簪が
抜けてすたりてついこなさんの あばらに立ちたる夢を見た
お為云うな云うなみな後事よ 夏の短き夜も早や更けて
「今鳴る鐘は江国寺 また鳴る鐘は常楽寺
またも鳴るのはありゃ天徳寺 すべて五か寺の鐘鳴り響き 白玉東の横雲の間に
夜明け烏が最期をせがむ 早う死なねば追手がかかる つまり追い手の恥をも受けて
辛い我が家に帰ろうよりも いっそ死んだが二人のためよ 云えば半蔵がさし心得て
二尺一寸すらりと抜いて 花のお為をただ一太刀で 返す刀で止めをさして
死んだお為に腰うちかけて 鉄砲引き寄せ手に取り上げて 火打ちを出して火を打ちて
「火縄に火を付け火鋏に トンと放せばこの世の暇
残る哀れは堅田の谷よ 今もとどむる比翼の塚に 絶えぬ手向けの線香一だ
町の若衆花嫁女たち 色もするなら浅黄にだつと あまり濃ゆすりゃ命にかかる
お為半蔵の心中の噂 末は涙の語り草