帯刀伝照口説
帯刀伝照は、高熊山に講を開いた石工で、「高熊山由来」など、数篇の口説に登場している。また盆踊りにも親しんでいたようで、「観光大分明日への発展」という口説を自作している。
帯刀伝照
国は豊後で速見の郡 北杵築には松村ござる 石工帯刀伝平こそは
心正直信心者よ 男こまいが大石にても 小石同様動かす業は
神や仏のなす様な手並み 人に唱われ評判高い 彼が十四の幼き頃に
村の堂にて大師を刻む それを父親心にとどめ この子石屋にいたさんものと
誰を師匠に頼めばよいか あちらこちらと尋ねて廻る そこに幸い船部の台に
音に名高い石工がござる その名阿部なる藤七郎の 弟子となりては一心不乱
修行なしたるその甲斐ありて 僅か四年で棟梁となりぬ あちらこちらの請負仕事
弟子と頼まれ育てし数も 二十幾人各地にござる 殊に風雅な丸石築は
伝平流とて名高きものよ 自然石にて記念碑橋は 県下各地に遺せし手形
これや秘伝を後世のために あまた弟子らに伝えんものと 記し集めし一巻こそは
偉業録とて石工の奥義 年を重ねて八十二歳 清き流れの落合川に
掛けし橋こそ伝平橋と 時の村長中野というて それと皆さん心を寄せて
橋の名前をいろいろ詮議 伝平名取りて萬伝橋よ 長く遺した奥義でござる
兼ねて彼こそ信心人よ 神社仏閣遍く巡り わけて高熊一寺を建てて
弘法大師を信仰なさる 名をば伝照と改めまして 衆生制度の御回向なさる
八十四歳の秋半ば頃 生きていながら葬式済まし 死んでまた来て信心なさる
右にリン持ち左に錫杖 黒の衣に網代の笠よ 手抜脚絆に身を固めてぞ
胸にかけたる札挟みには 平和日本の建設祈り 書いた文字のその鮮やかさ
西行法師の再来なるか 平和日本独立記念 戦死なさったあまたの人の
招魂碑をば建設なさる 八十有余の老いをも忘れ 諸国修行もことなくいたし
南無や大師の遍照金剛 諸国修行をなされる道で 七福神なる弁天様に
逢うた所は尾藤の上で そなた来なされ話をしましょう そなた住家がないのじゃないか
もしも住家がないのであれば 三十町下れば芦刈というて 音に名高いお岩があると
そこにおいでになりたるなれば わしに通知をしてくださんせ 便りくれたら社を建つる
言うてお別れしておきました 逢うた日にちが正月三日 お岩で拝むが三月三日
右の様子を芦刈人に 話したらば皆喜んで 正五九月にお祭り申す
帯刀諸国修行
<第一説話>
今も昔も不思議がござる 不思議不思議も因果でござる されば伝平伝記の中で
諸国修行のその道すがら いろは四十八奥山越えて 野道踏み分け峠を下り
越えて疲れて山路を下る 下る山路は残りた雪で あちらこちらに風情をそそる
眺め見事につい気を引かれ 旅の疲れを休めんものと 道のほとりの大石の上に
ヤレサよいしょと腰うちかけて ゆるむわらじの鼻緒を結ぶ かけた所は尾藤というて
ところ松村その下部落 道の傍らふと目をそらしゃ じっと丸んだ錦の模様
これぞ世に言う弁天様よ 知って伝平打ち喜んで 心嬉しく言葉をかける
これよこれこれ弁天様よ わしの話をよく聞きなされ ここは道中往来しげく
人も通れば車も通る ここらここいら危のうござる そなた住家をお探しならば
わしが教えよう住みよい所 ところ芦刈名高いお岩 お岩ほとりに清水もござる
そこにござれよ弁天様よ わしも修行のその道すがら ところ芦刈名高いお岩
わしもそちらに立ち寄るからに またも逢いましょその芦刈で またも逢うたら社を祀る
云うて分かれた一月三日 話し話しただ一刻半 何と聞いたか弁天様よ
やがて錦の弁天様は そろりそろりと草むら中に そこで伝平我が身にかえり
またも行きます仏道修行 巡り巡りて三月三日 道中急いで芦刈詣り
そこに名高いお岩がござる 清水汲まんとふと岩見れば 夢か現かまた幻か
尋ね尋ねた弁天様が そこのお岩に覗いてござる そこで伝平思いを返す
云うて誓った三月三日 今日は正真その日であれば 逢うた尾藤の弁天様が
またこちらでわし待ってござる そこで伝平誓うた言葉 思い出してぞ家路に急ぐ
社刻んで祠を建てて 正五九月に弁天祭り 伝え聞いたる芦刈人は
家内安全五穀の成就 ところ繁盛願うて祈り 今も伝わる弁天話
伝平修行のその物語
<第二説話>
国は豊後で船部というて 伝平口説きに終いの口説き ところ何処と尋ねてみれば
船部在所に旧家がござる 旧家その字本田というて 昔栄えたその家所
いつの代にか仏の塔と 語り伝えて明治の終わり 伝平伝えて伝えて聞いて
それを見んとて船部に下る さても大きな仏の塔は 周り八尺長さは九尺
長く丸くて煙突のように 上は平らでツルツル光る 光るその面誰かの頭
または鏡のその面より 磨きなしたる仏の塔よ これは見事と打ち褒めそやし
これやこれこれ本田の氏よ 主の屋敷のその下ほどに 姿出したる仏の塔を
わしは気に入り欲しうてならぬ どうぞ私に譲っておくれ 云えば本田の館の主は
これは譲れぬこの石こそは 仏石とて縁がござる 縁話は長うはせぬが
昔この石屋敷の前に 立って在所やこの村々を 無病息災五穀の豊穣
云えば伝平しおれて帰る 月日経つのは間もないものよ 世代替わって主も替わる
ここに変わらぬ仏の塔と 心変わらぬ伝平さんよ 頃は八月夏草茂る
茂る夏草踏み掻き分けて またも昔の話をすれば 時の主は話のわかる
三十三四の働き盛り わしも仕事に追われてならぬ 仏石とて縁を聞けど
今になるまで祀りもできぬ これを貴方にうち差し上げて どうぞお祀りして下されと
云えば伝平うち喜んで やれ嬉しや仏の塔は 今の主がくれると言うた
これぞ真の仏の因是 わしという名を仏が知りて わしの所に嫁入ってござる
そこで伝平思うてみたが 仏の塔なら粗末にゃならぬ これをどこかにうち立てまして
昔名高い百姓の見方 佐倉宗吾郎うち象って 石碑建てましょ百姓の在所
ところ作物栄えるように 言うて願うて仕事にかかる