与十秀浦口説
日出町深江は、現在はのどかな漁村だが、この口説では「上下出入りの商船数多、いつも賑わう繁華の港」と謳われ、しかも浜脇遊郭の大見世「明石屋」の出店まであったとのこと。どこまでが史実なのかはわからないが、そういう時代もあったのかもしれない。この口説は会話文を巧みに織り込んだ名文で、堅田踊りの「お為半蔵」を思い起こさせる。
与十秀浦
国は豊後の日出領内の 速見郡とやこれ邯鄲の 一の港の深江において
※邯鄲=別府湾
与十秀浦心中話 元の起こりを尋ねて聞けば 肥前長崎西上町の
藤井与十という侍で 利口発明人には優れ 武芸読み書き風雅の道も
諸芸余さぬ当世男 同じ長崎丸山町の 時の評判秀浦こそは
利口発明諸人に優れ 漢字読み書き琴三味線も 諸芸余さぬ彼の秀浦が
生まれ素性を尋ねて聞けば 親は都の武家浪人よ 落ちて諸国を遍歴するに
貧がよしない路金に困り ついにこの家を売り放されて 辛い勤めは浮き川竹の
身とはなれども名は長崎の 昔西施か楊貴妃姫か 小野小町の再来なるか
時は水無月半ばの祭り 祗園参りに群集なして いずれ劣らぬその中にても
目立つ秀浦与十が見初め あれが聞こゆる秀浦なるか 遊女なりとて恋い慕わんと
思い初めしが因果の初め 与十そのまま武家へと帰り 暮れを待ちかね丸山通い
忍ぶ雪駄の音高々と 急ぎゃ程なく蛭子屋に着き 物も案内も頼むと言えば
聞いてやり来る遣り手の茂六 それに与十が言い入るようは 今宵秀浦差し合いなくば
出して給われ頼むと言えば さしはござらぬ早や御人と 二階座敷に通しておいて
お茶や煙草や火などをあげて 言うて茂六は秀浦部屋へ もうしお秀さんお客がござる
吾妻下りの業平様を 見たる様なるお客と言えば 秀は総身もの嬉しげに
身ごしらえして座敷に出づる それに与十が言い寄るようは 去年の頃よりそもじの噂
聞いちゃおれども今宵が初め 声が聞きたさ逢いたさ見たさ 聞いてみたのが彼のほととぎす
慕う私の心の内を お察し給えと声柔らかに 言えば秀浦申せしことにゃ
私風情の賎しき者を 慕い給わる御心根は 身にも余りて嬉しさどうも
言われませぬと言うその内に 遣り手茂六が出て言うようは 酒のお燗やお肴用意
太鼓持ちやら舞妓に芸者 次に控えていますと言えば そこで秀浦申せしことにゃ
今宵お客にゃ騒ぎはいらぬ 皆を帰せよしてその後で 涼みがてらにあの縁側で
お茶を点てます用意をせよと 言えば茂六は茶飲みの道具 風呂やカンスや水差し茶入れ
和物オランダ店高麗の 名ある器を早や取り出だし そこで秀浦身を取り直し
余り嬉しの上茶を点てて そっと突き出すその品方を 与十嬉しさ取る手も速い
飲んで気も晴れ心の雲も 晴れて今宵は十五夜の月 連理比翼の縁結びして
二世も変わらぬ心の誓紙 丸い話で縺れつ撚れつ 話積もりて夜も更けゆけば
月は山端に寺々の鐘 最早今宵は帰らにゃならぬ 明日の夜と待つ早や御出でと
後で秀浦与十がことを 思い忘れぬ与十はなおも 秀に逢いたいいや増す恋の
闇も月夜も雨風の夜も 身をも厭わぬ丸山通い そこで秀浦申せしことにゃ
固い約束していたずらに 月日送るがのう情けない もしや貴方に奥様あれば
下女へなりともお炊事なりと 身請けさんしてお側に近う 使い給えと恨みの言葉
聞くに与十はげにもっともと すぐに亭主を座敷に呼んで 何とご亭主彼の秀浦を
身請けしたいが値はどうと 身請けなさるりゃ金百両と そこで与十が申せしことにゃ
今宵手付けに五十両入るる 残る五十両は当冬までと 述べて給えよご亭主様と
言えば亭主も承知の態で 秀が身の上今晩よりも 勝手次第に御召し連れよ
言えば与十は打ち喜んで 暇乞いして蛭子屋出づる 秀が住家を早や借り入れて
下女を一人さし添え置いて 栄耀栄華の暮らしとなれば さしも名高い秀浦なれば
藤井与十が彼の秀浦を 身請けしたとの評判あれば いつか親御のお耳に入りて
御一門衆が皆打ち寄りて 与十よく聞けさてそこもとは 遊び女に気を奪われて
身請けしたとの評判あれば 家の名が立つ家名の汚れ 四書や五経の講釈までも
聞いていながら不埒のことよ 兎角遊女に添うことならぬ 思い切らねば勘当なりと
言えば与十が俯きながら 親に背けば必ず天の 怨み受けては我が行く末が
恐ろしさをも弁えながら 恋は心の外とは言えど 思い切られぬ恋路の闇と
父は聞こえた犬畜生め 阿呆払いに早や追い出せば 母は名残の差す一腰を
これを形見と投げつけければ 与十取るより押し頂いて 腰にさすがは侍なれば
思い切りてぞ早や出でて行く 急ぎ秀浦住家に行けば そこで秀浦申せしことにゃ
今宵お出ではなぜ遅かりし 常に変わりてご気色悪い 言えば与十がさて言う様は
そちを身請けをしたそのゆえに 阿呆払いに勘当受けた 兎角この地に住いはできぬ
我はすぐさま他国へ行くと 言えば秀浦申せしことにゃ あなた難儀は皆私ゆえ
連れて他国をして給われと 支度急いですぐそのままに 落ちて行くのもさも不憫なれ
さてもこれより何処に行かんと 何処をあてどもなき旅の空 さてもこれより豊後の国を
さして行くのが道遥々と 迫る節季に気は急き道の そこで与十がさて言うようは
そなた身請けの五十両の金も 冬を限りに送らにゃならぬ これはどうしょうのう秀浦と
言えば秀浦思案を尽くし またも私の身を売り放し 金の才覚いたしましょうと
言えば与十は嬉しさ辛さ ほんに思えば貧より辛い 病なしとは世の譬えなり
金を受け取り与十に渡す これで義理立ち男も立つと 人を仕立てて故郷へ送る
そこで秀浦申せしことにゃ 松浦小夜姫私の心 石に等しくお前もどうぞ
辛抱しゃんせよ再び花を 咲きつ咲かれつそれ楽しみに 便り待ちますもうおさらばと
後で与十はさてつつおいつ されば竹田に知る人あれば それを便りに早や思い出づ
急ぎゃ程なく竹田の町に 町で名高い彼の五つ家に しるべ頼んで奉公勤め
番頭奉公に落ち着きければ 与十もとより柔和な生まれ 気質人あい店賑やかに
なれば店主も打ち喜んで 店や勝手の世話ごとまでも 与十次第と打ち任せける
そこで秀浦彼の明石屋で 辺り評判名も聞こえける 間を隔てて深江の浦は
上下出入りの商船数多 いつも賑わう繁華の港 それに明石屋出店があれば
これに秀浦早や入り来れば 都育ちの長崎女郎 町も田舎も大評判で
肌を汚さぬ貞心貞女 妻に逢いたさ見たさのあまり 清き心の住吉楼に
願い届いて竹田において 与十俄かに妻秀浦に 逢いたさ見たさに遣る瀬が無うて
すぐに与十は急病構え 暇を願うて入院すると 急ぎゃ程なく浜脇浦に
宿で様子を尋ねて聞けば 妻の秀浦さてこの頃は 深江出店に行っていますると
力なくなくその夜は泊る すぐに翌日浜脇発ちて 知らぬ深江を訪ねて来れば
既に深江の西浜町に その名塩屋の彦九郎とて 時の顔役さばけた男
それに泊りて秀浦呼んで 殊に馴れたる内儀のあおい 裏の置座に毛氈敷いて
酒や肴を早や持ち出づる 差しつ差されつ内儀のあおい 夜の浜風立つ波の音
いとど涼しき虫の音聞いて 今が故郷の栄華に勝る 既にこの日もまた明日の日も
前後覚えず日は重なりて 七日七夜も揚げ詰めにして 最早竹田に帰らにゃならぬ
明日は発ちますいざ何事も 今宵始末をつけねばならぬ 積もる花代宿払いまで
勘定通りに仕切を済ませ 最早発ちますご亭主様と 秀も内儀も座に連なりて
一つ参れと差す盃を 忝ないと押し頂いて 暇乞いして早や出でて行く
秀は後より御下駄はいて 名残惜しさに見送りて行く 見立て見送り羊の歩み
ついに江上のあの川端で これが二人の三途の川と 渡り兼ねては立ちとどまりて
そこで二人が手に手を取りて そこで秀浦申せしことにゃ 御身に別れてただ片時も
生きている気はわしゃ泣きじゃくり 連れて他国をして給わるか または手にかけ殺してくれよ
後を見送りあれ見やしゃんせ 今が血死期ぞあの松山が 死出の山じゃと下駄脱ぎ捨てて
毬も葛も並み分け行けば 少し小高い良い場所あれば これが二人の身の捨て所
東向いては法華経唱え 西に向いては南無阿弥陀仏 そこで与十がさて言う様は
国を出る時母御の形見 それでその時死ぬとのことを 知らで今まで生き永らえて
親に背いたその天罰で 逃れたかない今この太刀で 死ぬる我が身が不義不忠者
秀は死を待つこれ与十さん 遅れ給うなし損じまいと 言うて振り上げ力みし腕で
名残惜しさにまた控えしは 昔熊谷勇将でさえも 敵の大将敦盛公を
どこぞ刃の当て先がない 言いし心を感じてみれば 今日の今まで愛したそもじ
言えば秀浦申せしことにゃ 卑怯未練は何事なるぞ わしも元々武士の子なれば
自害するとて刃にあてる その手押さえてもうこれまでと ぐっと一突き息絶えにける
返す刃で腹十文字 切りて喉を突き貫けば さすが武士気丈な始末
頃は六月下旬の五日 港江上の樋の口山で これは天晴れ無双の心中
後は声々追手の人数 ここやかしこと見つけて廻る 屍骸見つかり大声あげて
ここじゃここじゃと言うその声を 聞いて集まる追手の人数 無惨なりけりこの場の修羅場
とても返らぬことなりければ やがて村内常楽寺とて 時の住職大和尚さん
それに頼んで弔いをして 二人一緒に石碑を建てて 人の噂にさて聞こえけり