お染久松口説
東海林太郎の「野崎小唄」は今でも知られているが、その詳細は今となっては知らない人も多くなっていると思われる。ところが、昔は大分県内のどんな田舎町でも知らない人はいなかったと見えて、殊に佐伯市堅田をはじめ、歌舞伎芝居が盛んだった土地では大変よく親しまれていたようだ。
お染久松
これは名高き三個の津にて ところ大阪 質屋の長兵衛 一人娘にお染というて
歳は二八の咲き出の花よ 母や喜ぶ仲睦まじさ 軒を並べし山田屋こそは
深き親類離れぬ仲よ 一番息子に清兵衛と言うて 娘お染と許嫁たる
深い仲とは夢にも知らず 店の子飼いの久松こそは 歳は十六 黒前髪よ
娘お染は生玉参り 供は久松その道行きは 平井権八さて小紫
行けば程なく生玉様へ 頃は三月桜の盛り 数多群集のあるその中に
染や久松 桜に勝り 人の目に付く評判者よ 娘お染は手を引き合って
心々を互いに明かし 人目忍んでその楽しみは 色のイロハのその字の初め
比翼連理の契りを結び 二人手を引き我が家へ帰る 今日も明日もと互いの胸は
可愛い可愛いで半年ばかり いつかお腹が三月となれば 今はお染も我が身に余り
主のある身の不義悪戯を ある夜風呂場で母さんに 見つけられたる腹帯を
最早霜枯れ師走の半ば 心寂しき二人の言葉 夫清兵衛に知れたるならば
何と言うてもこの義は済まぬ 少し離れて女の医者よ これを頼んで治療をいたし
夫清兵衛に知れないうちに もしも我が身に怪我あるならば 後に久松生き永らえて
主の手づから香花立てて 香の煙をわしゃ楽しみと 言えば久松顔振り上げて
わしがあるゆえあなたの難儀 家の名を出し暖簾に障り ご主人様へもこの義は済まぬ
わしが未来の道行せんと 言えばお染もありがた涙 わっと答えてこれ久松と
言うを聞くより母親様は 寒さ厭わず夜の日も寝ずに お染寝間へと人目を忍び
母はお染に意見をすれど 返事なければまた母さんは 一人娘に怪我あるならば
陰の清兵衛にその義がすまぬ 文をしたため野崎の村へ 送るその文開いてみれば
事の様子を詳しく書いて あれば親父は小首をかしげ 憎き倅め主人に済まぬ
さればこれから連れ戻さんと 粟に穀持ち袖無し小袖 杖を片手に藁づと提げて
しかもその日は大晦日にて 年頭歳暮のお礼を兼ねて 固い心の一筋道を
腰は二重にとぼとぼ歩き かかるその日は大晦日にて 心忙しく質屋の店に
最初親父は一礼述べて 今日は久松そなたの迎え うちへ連れ行き女房を持たせ
隠居する気でご主人様の お暇貰いにわざわざ来たと 聞いて久松これ爺様よ
年のあるうちお暇を取ると 言うは胴欲無理ではないか わしはこの家のご主人様に
五つ六つのその時よりも 育てられたるご恩を忘れ お暇どころかそりゃ何事よ
早く在所へお帰りあれと 言えば久作腹立ち顔で さほど大事なご主人様の
一人娘になぜ手を出した 夫ある女の間男同然 憎き倅と杖振り上げて
ぶつを見かねて娘のお染 店へ駈け出て両手にすがり さぞやお腹が立ちましょけれど
皆私の悪戯ゆえじゃ どうぞこらえて久作殿よ 涙ながらに提灯照らし
出入り厳しき質店なれば 母は駈け出て言葉を静め ここは店先まあまあこちへ
四人連れ行き倉にて意見 霧の情けの理につまされて 今日は二人が意見に暮れる
深い約束二人の心 どうせこの世で添われはせぬと 死んで夫婦となる楽しみは
歳は二八の優曇華なれど 二世の約束覚悟を極め 親の心を休めるために
今は二人が諦めますと すぐにその夜も更けゆきければ 倉へ久松一人で寝かし
親へ旦那へお暇の願い お礼かたがた話も終り 家内残らず疲れて眠る
今や遅しと娘のお染 そっと箪笥を開け七つ時 鐘もかすかに無情を告げる
衣裳着替えて白無垢ばかり 右は懐剣 左に小石 倉の戸口のパラリと投げて
たった一声久松殿と それを合図にお染は自害 内の久松気を揉むけれど
鍵をかけ鐘せんかた涙 守り刀でその身も自害 さても見事な蕾の二人
内と外とに心中がござる 最早明け六つ鴉の声も 可愛い可愛いと啼いてぞ渡る
哀れなるかや二人の最期 まずはこれにて終りを告げる