竹田市の盆踊り唄 2

●●● チロリロリン ●●●

 これは全く風変わりな唄で、「これもサンサのチロリロリン」だの「どっちが千草でトッホンシャン」だのといった意味不明な囃子が1節ごとについている。県内でこれを唄うのは荻町のみで、「弓引き」として唄われている。しかし「弓引き」は「三勝」の系統の節で唄う地域の方が多く、グループ名としては不適当なので、一応囃子から「チロリロリン」とした。

 

盆踊り唄「弓引き」 荻町宮平(柏原) <77段物>

☆弓引きヤーレー やりましょ(アラヨイヨイヨイ)

 しばし間はその調子にて(サマーこれもサンサのチロリロリン)

 ヨイサ チロリロリンならハチリンと(アラどっちが千草でトッホンシャン)

☆踊りゃ やめまい 踊りゃやめまい夜明けまで

 

 

 

●●● 杵築 ●●●

 これは国東・速見地方で盛んに踊られている「六調子(杵築踊り)」の類で、瀬戸内で広く行われている盆口説の一種である。県内ではこの種のものが広く唄われているも、「杵築踊り」の系統の節をもつのは速見地方から国東半島一円とその近隣の宇佐方面あたりであって、大分市には伝わっていない。そこを飛び越えて大野・直入地方で広く「杵築踊り」が唄い踊られているのは意外な感じがするが、これにはわけがあって、志賀(朝地町)の盆踊りが関係している。

 昔、志賀に澄んでいた岡藩関係者の田中某が、盆踊りを非常に好んでいた。その人が明治初年頃より、県内各地の盆踊りを集めて、志賀の盆踊りに取り入れたという。それで、志賀では「杵築踊り」をはじめとして「庄内踊り」「佐伯踊り」などといった他地域由来の踊りが増えていった(それらは元の土地で行われるものとは節や踊りが一部異なる)。その頃、大野・直入地方では盆踊りが廃れていた(或いは盆踊りの習慣がなかった)が、方々の集落が志賀の人に踊りを習ったり縁故関係で伝わったりして、志賀の盆踊りが一面に広まったという。志賀に踊りを習った津留(大野町)では、かつて25種類ほどの踊りがあったというのだから、往時の勢いが伺われる。このような経緯で「杵築踊り」が大野・直入に広く伝わったというわけで、実際この地域の「杵築踊り」は一列に志賀の節に似通っており、杵築市近辺の節とは異なる。杵築方面の節よりも間延びしているので、志賀の節に合わせて杵築の踊り方で踊ろうとすると、苦行かと思えるほどのろまな手振り・足運びになり、とても踊れたものではない。反対もまた然りである。

 ところで、この唄は、速見・東国東地方では一般に「六調子」と呼ばれているが、国東半島の北浦辺では一般に「杵築」「杵築踊り」として親しまれている。これは「杵築から伝わった踊り」「杵築が本場の踊り」といった程度の意味だろう。杵築発祥というわけでもないのだろうが、西国東どころか遥か遠い荻町でも「杵築踊り」として通用していることから、かつてよほど流行し、それなりの評判を得た時代があったと考えられる。

 

盆踊り唄「銭太鼓九つ」 竹田市次倉(宮砥) <77・75一口>

☆盆の踊りは伊達ではならぬ(サマヨイ サマヨイ)

 先祖代々 サマ 供養のため(アーヨーイサッサー ヨイサッサー

☆姉と妹に丸髷結わせ どちら姉やら 妹やら

 

盆踊り唄「杵築踊り」 竹田市倉木(嫗岳) <77・75切口説>

☆杵築踊りはいと易けれど(サノヨイ サノヨイ)

 知らぬお方にゃ難しゅござる(サーヨーイサッサー ヨイサッサー)

☆みんな踊ろや若いときゃ一度 二度と枯木にソリャ花咲かぬ

☆こよさ行きますお寝間はどこな 東枕のソリャ窓の下

 

盆踊り唄「団七踊り」 竹田市古園(宮城) <77・77段物>

☆哀れなるかや志賀団七は(サノドン サノドン)

 後ろ前からそりゃ切りかかる(アラヨーイサッサー ヨイサッサ)

☆姉の宮城野 妹の信夫 中を行くのは志賀団七か

メモ:古園では、「杵築踊り」の節で手踊りと団七踊りがあったが、今は団七は踊っていないようだ。

 

盆踊り唄「杵築踊り」 竹田市古園(宮城) <77・77段物>

☆杵築踊りはいとやすけれど(サノドン サノドン)

 知らぬお方にゃ難しゅござる(アラヨイサノサー ヨイサッサ)

 

盆踊り唄「杵築踊り」 荻町柏原(柏原) <77・75切口説>

☆みんな踊ろうや若いときゃ一度(サマヨイ サマヨイ)

 二度と枯れ木に ソリャ花咲かぬ(サマヨーイサッサー ヨイサッサ)

☆枯れ木 花咲き実のなるまでは 心かわすな かわすまい

 

盆踊り唄「杵築踊り」 荻町宮平(柏原) <77・77段物>

☆杵築踊りはしなよいけれど(サマヨイ サマヨイ)

 知らぬお方にゃ難しうござる(サマヨーイサッサー ヨイサッサ)

☆杵築山田の踊りを見たら おうこかたげて鎌腰差して

☆踊る片手じゃ焼き餅かじる それはうわごと理を語ります

メモ:例示した文句の「杵築山田の踊りを見たら」の「山田」は、地名ではなく「田舎」の意味である。この文句は、山香や杵築では普通「よんべやまがの踊りを見たら」と唄われている。いつの頃からか「やまが」から類推して「よんべ山香の」となり、今は文句の途中から山香の郷土自慢的な文句が接続されているが、本来は「よんべ山家の」であったと考えられる。つまり「昨晩田舎の踊りを見たら、野良仕事の格好で踊っていたよ」といった程度の意味で、古くは「町方」「浦方」の者が「在郷」の風俗をおもしろおかしく唄ったものだろう。これに類似する文句が日出や別府、挾間など広範囲に伝わっており、「杵築山家の踊りを見たら」「日出の山家の(山田の)踊りを見たら」などの文句で唄われている。この文句は、大野・直入地方でも「杵築踊り」の冒頭で唄い囃されることが多い。これらの地域では遠く離れた杵築にはあまり馴染みがなかったと思うが、農村部ということである種の親しみをもって「杵築山田の踊りを見たら…」と唄ったのだろう。

 

 

 

●●● 祭文(その1) ●●●

 「祭文(さえもん)」は県内で最も広く親しまれている盆踊りで、ほぼ全域に、各地各様の節・踊りで伝承されている。一般に「祭文」というと鶴崎踊りのそれを思い浮かべることが多いと思うが、実際は鶴崎踊り系統のもの以外にも、たくさんのバリエーションがある。直入地方の「祭文」は、大野地方のうち朝地・大野・緒方方面の共通の節で、鶴崎踊りの「祭文」をずっと田舎風にしたような節である。殊に上句末尾の音引き部分を「ホホンホン」とか「ヘヘンヨー」などと引き伸ばすところなどに古調の面影をよく残しているし、のろまだが抑揚に富んだ節もなかなかよい。この種の唄い方は挟間町近辺でも見られ、長いスパンで見れば同一系統と見て差し支えないだろう。

 さて、直入地方の「祭文」も、細かく見れば各地各様に節が異なるが、いちいち別グループに分けるほどの差異は見られない。「杵築踊り」の項で紹介したように、一旦廃った踊りが志賀で復活し明治以降近隣に広まった云々の伝承があることから、「祭文」も志賀の節が近隣に広まったと見てよいだろう。このことから、鶴崎踊りや臼杵踊りの「祭文」に比べると比較的新しいもののようにも思えるが、節回し自体はそれらと同等に古いものだと思われる。

 

盆踊り唄「祭文」 久住町青柳(久住) <77・77段物>

☆ちょいと祭文の 通りがけヘヘンヨー(アラヨイヨイヨイ)

 通りがけなら長いこつぁ言わぬ(ソレーヤ ソレーヤ ヤトヤンソレサイ)

☆それじゃしばらく理と乗せましょか 春は花咲く青山辺の

 

盆踊り唄「祭文」 久住町都野(都野)、直入町長湯(長湯) <77・77段物>

☆ちょいとさえもんの 通りがけヘヘンヨー(アラヨイヨイヨイ)

 通りがけなら長いこつぁ言わぬ(ソレーヤ ソレーヤットヤンソレサイ)

メモ:都野では扇子踊りで踊っている。扇子は開きっぱなしだし手数も少なく、しかも扇子を素早く回すような所作もないのでごく易しい部類ではあるが、近隣で行われる手踊りの「祭文」に比べると幾分洗練された印象を受ける。特に、輪の中を向いて束足で、両手で大きく輪を描くように振り上げて正面に伏せ下ろし、右に扇子を引き上げて決まるところなど、優美な雰囲気でなかなかよい。

 

盆踊り唄「祭文」 荻町瓜作(柏原) <77・75一口>

☆踊るエ うちではあの子が一よホホンエー(ヨイヨイヨイ)

 あの子育ての親様見たい(ヤレーヤーソレヤ ヤットヤンソレサイ)

☆親の意見と茄子の花は 千に一つのヨイサ徒がない

メモ:テンポがのろまで、ピョンコ節に近いリズムで唄っている。下句の囃し方がよそと少し違う。踊りはいかにも田舎風で、ごく易しい。右回りの輪の向きで、左足を踏んで右足を前に出しながら右手を上げて握り左手で右の袖を抑え、その反対、反対で踏みかえながら前に進んだら、両手を振り上げて手首を返し、振り下ろしながら1歩下がり、輪の中を向いて1回手拍子を打つ。

 

盆踊り唄「祭文」 荻町宮平(柏原) <77・75一口>

☆ちょいとさえもんと切り替えましょやホホンエ(ヨイヨイヨイ)

 かえたところでしなよく頼む(ヤレーヤーソレヤ ヤットヤンソレサイ)

☆そうじゃそじゃそじゃこの御調子なら 踊りゃやめまいサマ夜明けまで

☆西が暗いが雨ではないな 雨じゃござらぬサマよな曇り

 ※よな=火山灰

☆雨の降り出しゃ一度はやむが わしの思いはサマいつやむな

 

盆踊り唄「祭文」 竹田市古園(宮城) <77・75一口>

☆ハーちょっとさえもんと 切り替えましたホホンエー(ヨイヨイ)

 あることないこと喋りましょ(ソレーヤ ソレーヤ ヤットヤンソレサ)

☆昔ゃ松木さえ三人四人五人まじゃ寝たが 今じゃほしょぼにただ一人

☆わしが若い時ゃ吉野にゃ通うた 道の小草もなみかせた

 ※なみかせた=なびかせた

 

盆踊り唄「祭文」 竹田市倉木(嫗岳) <77・75切口説>

☆ちょっとさえもんに 切り替えますよホホンホン(アラドウジャイ ドウジャイ)

 しばしそれにて願います(ヤレーソレー ヤットヤンソレサイ)

☆踊りヨ 踊らば手に目をつけて 足を揃えてしなやかにホホンホン

☆竹に 雀が

 「一枝二枝三十の小枝のかぼそいところに

  ねうし揃えてじょうさし揃えてくちばし揃えてチーチーパッパが

 しなよくとまる 止めて止まらぬ恋の道

☆京の 三十

 「三間堂にゃ仏の数が 三万三千三百三十

 三体ござる 嘘か誠か行ってみにゃ知らぬ

☆瀬田の 唐橋ゃ

 「杉の木松の木けやきの欄干ひのきの手摺に

  大津の鍛冶屋が朝から晩までトッテンカラリと叩いてのばした

 唐金ぎぼし これもまことか行ってみにゃ知らぬ

メモ:のんびりとした田舎風の節回しで近隣地域と大同小異だが、イレコを挿んでいくので変化に富んでいる。ここでいう「イレコ」とは段物口説に割り込む75調の繰り返しのものとは違っていて。所謂「字余り文句」のこと指している。この部分は「二上り甚句」の字余り句とか、「字余りよしこの」「名所名所(宮津節の字余り)」のように早間で畳みかけるように唄う。踊り方はごく簡単で、荻町のものによく似ている。右回りの輪の向きで、左足を踏んで右足を出しながら右手を上げて握り左手で右の袖を抑え、その反対、反対…と踏みかえながら前に出て、輪の中を向いて手拍子、輪の外向きになり、3回手拍子で輪の中にまわる。

 

盆踊り唄(直入郡) ※『俚謡集』より

☆娘島田にゃ蝶々が止まる ドッコイドッコイ

 止まるはずじゃよ花じゃもの ソレソレー ヤートヤンソレサ

 

盆踊り唄(直入郡) ※『俚謡集』より

☆あれせにゃならぬ せにゃならぬ ヨイヨイ

 一つ布子の洗濯を ソレソレ ヤートヤンソレサ

 

 

 

●●● 祭文(その2) ●●●

 これは「佐伯」と呼ばれる唄で、「祭文」とは全く別物として認識されている。しかしその実は臼杵市佐志生の「祭文」とほとんど同じ節で、節だけを見れば明らかに「祭文」の系統なので、一応「祭文その2」のグループとした。佐志生の「祭文」の踊り方は、所謂「佐伯踊り」(堅田踊りでいうところの長音頭)の系統である。それで「佐伯」と呼んだか、または首句の「佐伯なば山…」云々の唄い出しからとったのだろう。後者であれば多分に流行小唄的な呼称であり、数多い踊りの中でもいよいよ余興的な性格を感じる。なお、これと全く同じものが耶馬溪方面で広く唄われており、伝搬経路は不明だが縁故関係で伝わったものと思われる。

 

盆踊り唄「佐伯」 久住町青柳(久住) <77・75一口>

☆佐伯なば山 鶴崎ゃ木挽き(ドッコイサッサー)

 日田の下駄ひき ナント軒の下(ソリャ ヤットセーノオカゲデネ)

 

 

 

●●● 猿丸太夫 ●●●

 この唄は大野・直入地方で広く盆踊り唄として親しまれているが、いずれも「猿丸太夫、奥山に、紅葉踏み分け鳴く鹿の」を首句としている。それからとって曲名を「猿丸太夫」と呼んだのだろうが、これは流行小唄的な呼称であって、「トッチンチンリン」云々の口三味線風の囃子も含めてこの唄の出自を示唆している。首句の「猿丸太夫…」の文句は、百人一首「奥山に、紅葉踏みわけ鳴く鹿の、声きく時ぞ秋は悲しき」の上句と、その作者の「猿丸大夫」(註)を組み合わせたものである。これだけだと何のことだかわからないが、元々は「ものはづくし」のように、「作者+上句」を次々に並べたような唄だったのだろう。長野県中野市松川の古い盆踊り唄に、このような趣向のものがあるので末尾にて文句を紹介する。

 ところで県内では、この「猿丸太夫」と酷似した節をもつ「笠づくし」や「そよそよ風」が座興唄(一部では盆踊り唄)として広く唄われたようだが、明らかに同一のものである。これらは文句の違いで呼び分けたにすぎなかったのが、次第に節が変化したと見るのが妥当だろう。これに対して鶴崎踊りの「猿丸太夫」は、ずいぶん雰囲気が異なる。大野・直入のものよりずっとテンポが遅く、節を長く引き伸ばして唄うし、節回しが全体的により技巧的なっている。囃子もずいぶん異なるが、それでも大野・直入の「猿丸太夫」をかなり遅いテンポで引き伸ばして唄うと鶴崎の節にそれなりに近くなることから、大元は同じだろう。鶴崎の「猿丸太夫」は、上方から伝わった唄とされており、大野・直入の「猿丸太夫」は鶴崎から伝わったものと考えられる。長年の伝承の過程で節が変化したのだろうが、どちらが古い節かということは簡単には判断できない。大野・直入方面では、三弦唄であった元唄を素唄にした関係で間合いが詰まったり、簡略化されたということは容易に想像がつくが、鶴崎は鶴崎で最初に入ってきた節をそっくりそのまま唄っているとは考え難く、大昔に改調されたと考えられる。実際、長く引き伸ばして唄う節には端唄「潮来出島」や「槍さび」の影響が感じられる。ともあれ、元唄が全く違う方向に変化していった先が大野・直入の節と鶴崎の節ということで、同じ大分県内でこれだけ節が違うのは何とも興味深いことである。鶴崎踊りのそればかりが盛んに紹介されているが、大野・直入の節・踊りもなかなかよいので、鶴崎踊りと合わせて広く知られるようになればと思う。

(註)正しい用字は「猿丸大夫」だが、県内では「太夫」で通用しているため、これに従った。

(参考)盆踊り唄「川崎」 長野県中野市松川 

   ☆瀬川と書いて さかさまに 淀の川瀬の水車 

   ☆猿丸太夫 奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の 

   ☆小式部内侍 大江山 幾野の道の遠ければ 

   ☆周防の内侍 春の夜の 夢ばかりなる手枕に

 

盆踊り唄「猿丸太夫」 荻町恵良原(荻)、荻町柏原(柏原) <77・75一口>

☆猿丸太夫は(アラショイショイ) 奥山の

 紅葉踏み分け鳴く鹿の(アラヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤナー

 サートッチンチンリン トッチンチンリン)

 

盆踊り唄「猿丸太夫」 久住町都野(都野) <77・75一口>

☆猿丸太夫はホイ(アラショイショイ) 奥山の

 紅葉踏み分け鳴く鹿の声(アラヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヨナー

 サートッチンチンリン トッチンチンリン)

☆鹿が鳴こうと 紅葉が散ろと 私ゃあなたにコリャ厭きは来ぬ

☆安芸の宮島 まわれば七里 浦は七浦コリャ七えびす

メモ:首句は「鳴く鹿の」の5字で終わるのが普通だが、音引きを嫌ってか「鳴く鹿の声」までの7字で唄っている。2句目以降は近世調で、上句の末尾が7字になるのはやむを得ないが、下句の末尾まで「コリャ」を挿入して都合7字にしている。もともとの字脚は「75・75」で、5音のところを引っ張って唄うところに妙味があると思うのだが、唄い易さの方をとったのだろう。なお、都野の「猿丸太夫」は扇子踊りである。親骨1本分を残して畳んだ扇子を拝み手で持ち、左右に小さく振りながら数歩進む。右足を後ろに踏みながら両手を低く開くと同時に扇子を振り開き、両手を低く開いたり閉じたりしながら左右交互に後ろ足に踏みかえながらさがり、扇子を畳んで束足。これの繰り返しだけなので覚えやすいが、後ろにさがり始めるところで扇子を一振りで開くのが少し難しい。

 

盆踊り唄「猿丸太夫」 直入町下河原・原・柚柑子(長湯) <77・75一口>

☆猿丸太夫は(アラショイショイ) 奥山の

 紅葉踏み分け鳴く鹿の(アラヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤナー

 サートッチンチンリン トッチンチンリン)

☆山は焼けても山鳥ゃ立たぬ なんで立たりょか子のあるに

 

盆踊り唄「猿丸太夫」 直入町長湯(長湯) <77・75一口>

☆猿丸太夫は(コラショイショイ) 奥山の

 紅葉踏み分け鳴く鹿の(アラヨイヨイ ヨイヨイ ヨイヤナー

 サートッチンチンリン トッチンチンリン)

☆思うて通えば 千里が一里 逢うて帰ればまた千里

☆別れ別れに さす盃の 中は酒やら涙やら

メモ:都野や倉木と全く同じ節だが、ピョンコ節に近くなってる。長湯の踊り方は都野とほとんど同じだが、畳んだ扇子を拝み手で持ち数歩進んだあと、扇子を振り開いたかと思ったらすぐに畳むところが違う。この踊り方は、扇子を開くのがほんの一瞬だけというのがなかなか珍しく、おもしろい。

 

 

盆踊り唄「猿丸太夫(二つ拍子)」 竹田市古園(宮城) <77・75一口>

☆猿丸太夫は(コラショイショイ) 奥山の 紅葉踏み分けアノ鳴く鹿の

 (アラヨイヨイヨイサノ ヨイヨナー ヨイヨナー) 

 

盆踊り唄「猿丸太夫」 竹田市倉木(嫗岳) <77・75一口>

☆猿丸太夫(コラショイショイ) 奥山に

 紅葉踏み分け鳴く鹿の(アラヨイヨイヨイヨイ ヨイヤサー

 サートッチンチンリン トッチンチンリン)

☆秋が来たとて 鹿さよ鳴くに なぜに紅葉は色づかぬ

☆鹿が鳴く鳴く 秋鹿が鳴く 寒さで鳴くのか妻呼ぶか

☆寒さで泣かぬ 妻呼ばぬ 明日はお山のおしし狩り

メモ:倉木の猿丸太夫は手踊りで、緒方町馬場の踊り方に大変よく似ている。両手を高く上げて人差し指・中指以外をゆるく握っておいて、手首をクルリクルリを返してはシナをつけながら継ぎ足で小さく進んでいき、輪の内向きになる。右にごく小さく伏せ流し、後ろにさがって1つ手拍子を打つ。所作の一つひとつは全く違うが、鶴崎踊り「猿丸太夫」の踊り方の名残が僅かに感じられる。同じことの繰り返しばかりで易しいが、上体をやや傾けるようにしながら手に目をつけて、やわらかい所作で進んでいくところなど何とも優雅で、よい踊りである。供養踊りでは右回りの普通の輪踊りで踊っているが、交流イベントなどの際に扇子踊りの「猿丸太夫」と組み合わせて二重の輪を立てるなどしてみると、より見栄えがするだろう。

 

盆踊り唄(直入郡) ※『俚謡集』より

☆猿丸太夫はヨッショイショイ 奥山に

 紅葉踏み分け鳴く鹿の サヨイヨイヨイヨイ ヨイヨナー

 サトッチンチンリン トッチンチンリン

 

 

 

●●● 麦搗き ●●●

 これは精麦や精米の作業で唄った作業唄を転用したもので、盆踊り唄としては大野・直入地方の広範囲で唄われている。また作業唄としては池普請唄としても唄われ、大野・直入はもとより大分方面でも採集されている。昔、麦や雑穀、芋類が常食だった頃は、二毛作が広く行われていた。麦はお米と同じように脱穀するとうまくいかず、クルリ棒で麦打ちをして唐箕にかけ、今度は竪杵で搗いていく必要があり、大変な重労働だったという。特に竪杵で搗くのは大変で、唄の文句にも「臼に麦を入れ糠搗くときは、五尺体が乱れゆく」とある。複数の人がめいめいに竪杵を持ち、オイサオイサと交互に搗いていく際に調子を揃える意味で、音頭と囃子とが頻繁に入れ替わる特異な形式を持つ唄になっている。

 盆踊り唄として唄われる際にも元唄の性格を色濃く残しており、音頭と囃子(踊り子が担う場合が多い)の掛け合いである。ことさらな音引きはないが、音頭の節が起伏に富んでおりなかなか難しい。下句の返し方が独特で、先に例示した文句であれば、通常であれば「五尺体が乱れゆく、体が五尺、五尺体が乱れゆく」となりそうなところを、「五尺体が、体が五尺、乱れゆく」と唄う。これは、「臼に麦を入れ糠搗くときは」と「五尺体が、体が五尺」の節が対になっているためで、結局この部分の字脚を揃えるために、半ば強引に奇妙な返し方をしているのである。「猿丸太夫」や「祭文」などはその気になれば1人で音頭も囃子も通しで無理なく唄えるが、この「麦搗き」ばかりは間合いが詰まっているので、2人が掛け合いで唄わなければ息切れしてしまう。

 

盆踊り唄「もの搗き」 竹田市古園(宮城) <77・75一口>

☆臼にヨーナ(ドッコイ) アー米を入れ(サマヨーヤサノヨイヨイ)

 ぬかぶく時はエ(サマハーヨイヤナ)

 ヤレー五尺ナー(ドッコイ) アー体が(サマヨーヤサノヨイヨイ)

 体が五尺エ(サマハーヨイヤナ) コイタ乱れゆくエ

 (サマセーヨーナ) ドッコイ(ヨーイヤセーヨーナ) ま一丁(ヨーイヤナ)

☆わしと あなたは お蔵の米よ

 いつか 世に出て 世に出ていつか ままとなる

☆三味の 糸さえ 三筋はかかる

 私 あなたに あなたに私ゃ 一筋に

メモ:ここでは「もの搗き」となっているが、これは精麦以外にも、精米その他、臼を使う作業のときに広くこの節を唄ったためだろう。『民謡緊急調査』の音源では演唱者(高齢の女性)が1人で音頭も囃子も唄っているが、息継ぎが苦しそうで、最後の方はやっと唄っている。田舎風の節回しによく合った唄声でとてもお上手なのだが、音頭も囃子も通しで1人で唄うのは少し無理があったようだ。

 

盆踊り唄「麦搗き」 久住町青柳(久住) <77・75一口>

☆臼にナー(ドッコイ) 麦を入れ(サーマヨイヤサマヨイヨイ)

 ぬかづく時はヨー(サーマヨイヤセー)

 五尺ナー(ドッコイ) 体が(サーマヨイヤサマヨイヨイ)

 体が五尺ナー(サーマヨイヤナー) 乱れゆくヨー

 (サマセーヨーナ) ドッコイ(ヨーイヨセーヨーナ) ドッコイ(ヨイヨナー)

 

盆踊り唄「麦搗き」 直入町長湯(長湯) <77・75一口

☆臼にヨーナ(ドッコイ) アー麦を入れ(サマヨイヤ サマヨイヨイ)

 ぬかづく時にゃエ(サマセーヨイヤナ)

 五尺ナー(アードッコイ) アー体が(サマヨイヤ サマヨイヨイ)

 体が五尺ナ(サマセーヨイヤナ) コイタ乱れゆくエー

 (サマセーヨーナ) ドッコイ(ヨーイヨセーヨーナ) も一つ(ヨイヨナー)

☆来るか 来るかと 川下見れば 川にゃ 柳の 柳の川にゃ 影ばかり

 

盆踊り唄「麦搗き」 直入町下河原・原・柚柑子(長湯) <77・75一口>

☆臼にヨーナ(ドッコイ) アー麦を入れ(サマヨイヤサノヨイヨイ)

 ぬかぶく時にゃナ(サマセーヨイヤナ)

 五尺ナー(ドッコイ) アー体が(サマヨイヤサノヨイヨイ)

 体が五尺ナ(サマセーヨイヤナ) コイタちぎれゆくエー

 (サマセーヨーナ) ドッコイ(ヨーイヨセーヨーナ) も一つ(ヨイヨナー)

メモ:よそでは「五尺体が乱れゆく」と唄うところを、「五尺体がちぎれゆく」と唄っている。作業の大変さを物語る文句である。『民謡緊急調査』の音源を聴くと、陰旋で、微妙にリズムが崩れてピョンコ節に近くなっている。

 

盆踊り唄(直入郡) ※『俚謡集』より

☆臼にナ ドッコイ お米を入れ サマヨヤサノヨイヨイ

 ごーしりーな ソッコイ 体が サマヨヤサノヨイヨイ

 こざれゆくエー

 

 

 

●●● 伊勢音頭 ●●●

 この地方の「伊勢音頭」は所謂「ヤートコセ」の類の中でも最もテンポが遅い部類で、節をこね回すようにして長く引っ張って唄う。その節には、梅坊主の唄で流行した騒ぎ唄風の「伊勢音頭」や「道中伊勢音頭」、または春風やなぎの唄で流行した「住吉踊り」等の影響が色濃く感じられるが、これらよりもさらにのろまである。おそらく都会の流行り唄として入ってきたものが毛槍ひねりの白熊音頭や作業唄などとして唄われるうちに節をことさらに引っ張るようになり、それを盆踊りに転用したものだろう。一節がとても長く節が細かいので唄うのは少々難しい。

 ところで、大分県内の俚謡には、都会の俗謡や端唄、流行小唄などを転用したものが多くみられる。それらは節回しや囃子がその土地々々でそれなりに変化しており、地元由来のものと同等に扱われているものばかりである。その最たる例が「伊勢音頭」で、よほど流行したのか池普請や屋敷普請の作業唄をはじめとして、騒ぎ唄、白熊唄、盆踊り唄などとして県内全域で採集されている。盆踊り唄としては大野・直入地方の「伊勢音頭」、耶馬溪方面の「千本搗き」、日田・玖珠地方の「小屋起こし」など枚挙にいとまがなく、しかも同じ「ヤートコセ」であってもその節回しのバリエーションが豊富で、別系統の節がいくつも伝わっている。これは、おそらく元唄としての「伊勢音頭」が数度の流行期に種々伝わったものが共存したうえに、さらに伝承の過程で節が分かれていったためだろう。音頭にもまして豊富なのが踊りのバリエーションである。最早、他県由来の唄であっても、「大分の伊勢音頭とその周辺」として、完全に地元の唄になりきっている。この点が、都会の盆踊りでよく見られるように「炭坑節」「河内音頭」などのレコード音源を流すのとは完全に異なるところである。

 

盆踊り唄「伊勢音頭」 久住町都野(都野)、直入町長湯(長湯) <77・75一口>

☆伊勢にゃナ 七度熊野にゃ三度(アラソーコセー ソーコセー)

 愛宕様にはヤンデサ 月参り(アラソレカラ ヤートコセーノ ヨーイヤナ)

 アラ(ハレワイセーノ) ソコ(コレワイセーノ ササナンデモセー)

 

盆踊り唄「伊勢音頭」 竹田市倉木(嫗岳) <77・75一口>

☆伊勢にゃヨ 七度ナ 熊野に三度(アーソーコセー ソーコセー)

 愛宕ナ 様には ハーヤンレサ月参り(アーソレソレ ヤートコセーノ ヨーイヨナ

 アレワイセー) ドッコイ(コレワイセーデ ササ ナンデモセー)

☆さてもナ 見事なヨ 沈堕の滝は(アーソーコセー ソーコセー)

 「ソレ落て口ばかりは十二口(ソレ) 十二の落て口ゃ布引で(ソレ)

  上には大悲の観世音(ソレ) 下には大蛇が七頭」

 落つりゃヤ 大蛇の ハーヤンレサ餌となる(アーソレソレ ヤートコセーノ

 ヨーイヨナー アレワイセー) ドッコイ(コレワイセーデ ササ ナンデモセー) 

メモ:素唄の文句でも、1節唄うのに1分半くらいかかる。例示した「沈堕の滝」の文句(さても見事な…)に至っては、半ばに75調のイレコを挿んでいるため2分近くもかかっている。倉木では9種類も踊るので1つの踊りをあまり長時間連続で踊ることはなく、いきおい「伊勢音頭」は数節しか唄わないということになる。踊りは扇子踊りで、開いた扇子の角のところを右手でつまんでひらりひらりと翻して踊る。所作は難しくはないが手数が多く、覚えにくい。輪の中を向いて、右・左・右・左と交互に足踏みしながら両手を右上・左上・右下・左下と小さく流すのを数回繰り返して、左右に流したりしながら輪の外を向き、また4回足踏みで両を上下左右に流すのを数回繰り返し、輪の中向きに戻るような踊り方である。

 

盆踊り唄「伊勢音頭」 竹田市古園(宮城) <77・75一口>

☆伊勢はナー 津でもつ津は伊勢でもつ(アラソーカセー ソーカセー)

 愛宕ナー 様には ハーヤンレサー月参り(アーソレカラ ヤートコセーノ

 ヨーイヤナー アレワイセー) ドッコイ(コレワイセーノ ササ ナンデモセー)

 

盆踊り唄 直入郡 ※『俚謡集』より

☆イヤ太夫さんちょいと止めた

 ソレ西行法師のぼんさんが 四国西国廻るとき

 豆腐の四角に蹴つまづき こんにゃく小骨を足に立て

 れんぎで掘れども掘れはせず 杓子でこぬれどまだ抜けぬ

 いろいろお医者にかけたれど 薬の効き目のなきために

 山で取った貝殻と 磯部でとった松虫と

 氷の黒焼きとかきまぜて 馬の角にて エヘンヘン

 混ずれや ハリャリャ コリャリャ アレワイセー

 

盆踊り唄 直入郡 ※『俚謡集』より

☆早野勘平が猪打ちにゃ 蓑着て笠着て鉄砲を持ち

 一谷越ゆれど猪ゃおらぬ 二の谷越ゆれど猪やおらぬ

 三国峠という峠 あれに見ゆるは猪かいな

 はやご返して二つ玉 二つ玉にて打ち止めな

 火縄の火を振り出で見れば 猪と思えば旅の客

 気付けはないかと懐を 探り当てたる縞財布

 金ならおよそ四五十両 死したるそちはいらぬ金

 はたはなければならぬ金 貸してナー アラくれとの

 ヤレたたんでおさめ キニャキニャ ヤートコセー ナンデモセー

 

 

 

●●● サンサオ ●●●

この唄は県内では倉木のみで採集されており、全く正体不明である。テンポがのろまだが、ことさらな音引きは少ない。しかし節が抑揚に富んでおり、唄いづらい曲である。下句をまるまる囃子がとってしまうのが変わっているが、これはおそらく、元々は田植唄か何かとして唄っていたものを転用したためと思われる。

 

盆踊り唄「サンサオ」 竹田市倉木(嫗岳) <47・75一口>

☆アラ田中に布旗立てて(波に乗らせて サマ瀬で)

 ドッコイ(瀬でさるす サーンサオ)

 アラ乗らせて 乗らせて波に(波に乗らせて サマ瀬で)

 ドッコイ(瀬でさるす(サーンサオ)

☆踊ろや若い時ゃ一度 (二度と枯木に花 花咲かぬ)

 枯木に 枯木に二度と(二度と枯木に花 花咲かぬ)

メモ:各節とも、頭3字を伏せて唄う。また、返しの部分にも3字分の省略が見られる。具体的に示せば「(みんな)踊ろや若い時ゃ一度、二度と枯木に花咲かぬ/(二度と)枯木に枯れ木に二度と、二度と枯木に花咲かぬ」の「みんな」と「二度と」を欠いているのである。こうしてみると、返し部分も含めて「47・75」の繰り返しということになり、実際、1節の中で全く同じ節を2回繰り返している。この唄はとても珍しく、おそらく倉木にしか残っていなかったのではないかと思われるが、残念なことに今は全く唄い踊られていない。しかし『民謡緊急調査』の音源で気軽に聴くことができる。

 

 

 

●●● 東山 ●●●

 この唄は県内では直入地方特有のもので、隣接する阿蘇地方にも残っている。類似する唄が見当たらず、正体不明である。阿蘇方面の踊りは荻から伝わったそうだから、そちらに由来を求めることもできそうにない。曲調としては一列に短調で、テンポはゆったりとしているが音引きが少なく、唄い易い部類である。下句をまるまる囃子がとっており、或いは「サンサオ」と同様に田植唄か何かの転用かとも思われるが、定かではない。また、首句には必ず「東山からさよ出た月は、さんさ車の輪のごとく」云々を老いている。この冒頭をとって「東山」と呼んだと考えるのが妥当で、そうであれば流行小唄的な呼称ではあるが、三弦唄の雰囲気は薄い。

 分類については迷いがあり、音頭と返しを行き来するだけの単純な節のものを「その1」とし、長めの囃子を伴ったり返し方が複雑なものを「その2」としてみようかとも思ったが、根拠が曖昧なので一応、複数のグループに分けることは控えた。

 

盆踊り唄「東山」 荻町柏原(柏原) <77・75一口>

☆東山から お出ます月は(ハーヤレ さんさ車の輪のごとく)

 車の 車のさんさ(ハーヤレ さんさ車の輪のごとく)

☆盆の踊りは伊達ではないよ 先祖代々供養踊り

 代々 代々先祖(先祖代々供養踊り)

メモ:高森で唄われている節も、これと全く同じである。

 

盆踊り唄「東山」 荻町宮平(柏原) <77・75一口>

☆東山から あれ出る月は(ハーヤレ さんさ車の輪のごとく)

 さんさ車の 車のさんさ(ハーヤレ さんさ車の輪のごとく)

☆様は三夜の 三日月様よ(宵にチロリと見たばかり)

 宵にチロリと チロリと宵に(宵にチロリと見たばかり)

メモ:返しの部分で3字を欠かないため、結局1節の中で同じ節をそっくりそのまま繰り返すことになる。

 

盆踊り唄「東山」 竹田市古園(宮城) <77・75一口>

☆唄は唄いたし 唄の数知らぬ ヤレ 大根畑のくれがえし

 畑の大根 ヤレ 大根畑のくれがえし(コチャーコチャー)

 

盆踊り唄「東山」 久住町青柳(久住)、直入町下河原・原・柚柑子(長湯) <77・75一口>

☆東山から さえ出る月は ヤレ さんさ車の輪のごとし

 車のさんさ ヤレ さんさ車の輪のごとし こちゃこちゃ こちゃ知らぬ顔よ

 (ヤーレヤーレ ソレソレ ヤーレヤーレ ソートエ)

☆月の出鼻と 約束したが 様は来もせで風ばかり

 来もせで様は 様は来もせで風ばかり こちゃこちゃ こちゃ風ばかりよ

 

盆踊り唄(直入郡) ※『俚謡集』より

☆東山からさえ出づる月は ヤレサンサ 車の火の如し

 東山から 東山からさえ出づる月は ヤレサンサ 車の輪の如く

 コチャコチャ 見るがほん車の サンササンサ 車の輪の如く

メモ:返し方が普通ではなく、『俚謡集』の誤植も疑ったが、いかんせん採集地域が「直入郡」としか示されていない。あるいはこのような唄い方をする集落もある(あった)のかもしれないと思い、そのまま引用することにした。

 

 

 

●●● 関門小唄 ●●●

 下関の新小唄「関門小唄」の節で、下竹田地区名物の甚吉柿を唄ったものである。昭和初期に、藤本二三吉のレコードで覚えた節を転用したと思われる。ただし「関門小唄」の節をそっくりそのまま転用したというわけでもなく、前半の節を利用して返しは省き、囃子も元唄とは違っている。太鼓のみの伴奏で旧来の盆口説と同種の扱いをされているし、レコード民謡というわけでもないので、ここでは「新民謡」ではなく「盆踊り唄」として扱うことにした。考えてみると当たり前のように「盆踊り唄」に分類している「猿丸太夫」やら「麦搗き」やらも、自然発生的なものとはいえ、大昔に誰かがその節を「作った」のは紛れもない事実である。それを考えると「甚吉口説」もその流れの中の一曲と捉えてもおかしくはないだろう。

 

盆踊り唄「甚吉口説」 直入町下竹田(下竹田)

☆郷土名物 甚吉柿と 炭で名高い下竹田(ソレ)

 ヤートセー ドッコイサノセー(ソレ)

☆味と風味は日本一よ 古い由緒の渋柿で

メモ:節も踊りもとても簡単で親しみやすい。囃子には元唄の「ヨーイトヨイヤードッコイセ」の名残が僅かに感じられるも、節が違う。盆踊りはもとより、運動会等でもよく踊られている。

 

 

 

●●● 分類不明のもの ●●●

 

盆踊り唄(直入郡) ※『俚謡集』より

☆先の太夫さんな京都な江戸な ヤレショ

 江戸じゃ見られぬ京都ではない ハーヤンソレサ

 

盆踊り唄(直入郡) ※『俚謡集』より

☆エーヘー わしは佐伯のザル棒せがれ ザルはぼけザル 魚は腐れ

 ヨヤヨイ ザルはぼけザル 魚は腐れ エヘヘー 

 ザルはぼけザル 魚は腐れ ヘー ザルはぼけザル 魚は腐れ

 ハー ヨイトマカセノ ヨヤヨイ

 

盆踊り唄(直入郡)

☆サー どうで弓引きゃ臼杵がもとよ 臼杵もとなら佐伯が浦よ

 

盆踊り唄(直入郡) ※『俚謡集』より

☆様よあれ見よ御嶽に ヨイトナーヨイトナー

 みかん売り子が サマ火をとぼす ヤーソレ ヤーソレサ

メモ:実際の節はわからないが、囃子から推してひとまずこのグループに入れてみた。