佐伯市の盆踊り唄 6

●●● お竹さん ●●●

 古い流行小唄に「お竹さん」というバレ唄があるが、あれとはどうも別物のようだ。しかし、こちらも深読みすればそういう意味の文句にも受け取れる。意味深な文句とアンゲラモンゲラ…云々の風変わりな囃子、また「アイナ、アイナ」のところのおどけた唄い方など、どれをとっても通俗的な印象を受ける。西野の「お市後家女」と似たような趣向で、ある種の悪口唄とも言えるだろう。酒席の流行唄の転用と思われる。

 

盆踊り唄「お竹さん」 佐伯市波越(下堅田) <小唄、二上り>

☆黒い羽織に三つ紋つけてナー してこりゃ男がどうしゃんす

 しゃならしゃならでストトントン アンゲラモンゲラ アンゲラモンゲラ

 しゃならしゃならとストトントン  小藪の陰からもうしもうしと

 お竹さんかいな アイナ アイナ アーンコアイナ

☆黒い羽織に三つ紋つけて してこりゃ男がどうしゃんす

 しゃならしゃならで しゃならしゃならと

 障子の陰からもうしもうしと お竹さんかいな

☆嘘じゃござんせんほんとの女郎衆 してこりゃ男がどうしゃんす

 しゃならしゃならで しゃならしゃならと

 柳の木陰でもうしもうしと お竹さんかいな

メモ:テンポが軽やかで節がおもしろいし、三味線の弾き方も賑やかな感じがして、楽しい唄である。踊り方がまたおもしろく、半開きの扇子を両手に1本ずつ持ち、それを互い違いに上下させながら足を互い違いに滑らすように踏む所作が滑稽である。しかも、途中で「淀の川瀬」と同じく前向きの人と後ろ向きの人が交互になり、二人ずつが向かい合わせになるという凝ったところもあり、見ていて飽きない。「淀の川瀬」や「十二梯子」などもあれば「お竹さん」や「与勘兵衛」もあるというのは、波越の踊りのバリエーションの豊富さを端的に表しているといえるだろう。

 

盆踊り唄「お竹さん」 佐伯市石打(下堅田) <小唄>

☆嘘じゃござんせんほんとの女郎衆 なんしてなんして 男がなんとするか

 いつも振袖ナンアンアン アンゲラモンゲラ モンゲラアンゲラ

 いつも振袖ナンアンアン 柳の木陰でもうしもうしと

 お竹さんかいな アイナ アーンガ アイナ

 

 

 

●●● 小野道風 ●●●

 文句を見ると、芝居や浄瑠璃を題材にしたものが多い。古い流行小唄の転用かと思われるが、『俗曲全集』を見ても古い唄本をいろいろ見ても、同種のものが見当たらなかった。弾んだリズムで浮かれた調子の中にも、ところどころが陰旋化している。その音程の妙がいかにもお座敷風だし、半ばに地口を挿むのでいよいよ芝居がかったような感じがして、なかなかおもしろい。

 

盆踊り唄「小野道風」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、本調子、男踊り>

☆小野道風 青柳硯(合) 姥が情けで清書書く

 ソリャ情けで姥がナ 姥が(ヤットセイ) 情けで清書書く

 「イヤそれでもなったらしようがない

 そうじゃわ そうじゃいな ソレ

☆斧九太夫は胴欲者よ 主の逮夜に蛸肴

 逮夜に主の 主の逮夜に蛸肴

 「胴欲者なら仕方がない

 そうじゃわ そうじゃいな

☆早野勘平さんは主人のために 妻のお軽にゃ勤めさす

 お軽にゃ妻の 妻のお軽にゃ勤めさす

 「前世の業なら仕方がない

 そうじゃわ そうじゃいな

☆もののあわれは石堂丸よ 父を尋ねて高山に

 尋ねて父を 父を尋ねて高山に

 「登れど父方 名が知れぬ

 そうじゃわ そうじゃいな

☆ものの不思議やクネンボが生えた 九年待てとのことじゃげな

 待てとの九年 九年待てとのことじゃげな

 「九年待てとのことじゃげな

 そうじゃわ そうじゃいな

メモ:西野に残る男踊りの中では最難関の踊りである。「だいもん」「お市後家女」「高い山」「与勘兵衛」などいろいろな男踊りの所作を複雑に組み合わせた踊りで、覚えにくい。特に難しいのは「そうじゃわ、そうじゃいな」のあとで、「右手・左手・両手」などと振り上げながら歩いていく所作が永く続く。これは西野の男踊りの基本だが、ここではその組み合わせ方がたいへん入り組んでいる。三味線がやや途切れ途切れのような節になっていて、それに合わせて半ば強引に手数を合わせていくような踊り方をするために、若干食い気味のリズムで進まなければ遅れてしまう。大きな一重の輪が立つ程度の人数が踊っているが、特に三味線の部分に入ると踊りが揃わず、輪が乱れ易い。

 

盆踊り唄「小野道風」 佐伯市竹角(下堅田) <小唄、本調子>

☆小野道風 青柳硯 姥が情けで清書書く

 ソリャ情けで姥がナ 姥が情けで清書書く

 「それでもなったらしようがない

 そうじゃわ そうじゃわいな

 

盆踊り唄「小野道風」 佐伯市黒沢(青山) <小唄>

☆小野道風は青柳硯(ヨイ) 姥が情けで清書書く

 情けで姥がナ 姥が(コラセイ) 情けで清書書く

 「それでもなったらしようがない

 そうじゃ そうじゃわいな

☆四反五反の豆の垣ゃなるが 一人娘の垣ゃならぬ

 娘の一人 一人 娘の垣ゃならぬ

 「それでもなったらしようがない

 そうじゃ そうじゃわいな

メモ:西野の節よりも平板で、陰旋化が進んでいる。三味線を使わないが、「ヨイ」の掛け声の後に太鼓をたたいて拍子をとり、少し間をおいて唄う。

 

 

 

●●● 帆かけ ●●●

 この種のものは西野にのみ残っていたが、残念ながら廃絶した。西野の「しんじゅ」と同じテンポで、節は全く異なるも三味線の手が「しんじゅ」と少し似ている。唄い方は、こちらの方がずっと易しい。各節末尾の「も一つ」を短く、ストンと切れるように唄うのがおもしろい。

 

盆踊り唄「帆かけ」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、三下り、女踊り>

☆沖を走るは丸屋じゃないか 船は(コラセ) 新造でソレ櫓は黄金

 丸に(コラセ) 矢の字の帆が見える サー帆かけて来い も一つ

☆船は出て行く帆かけて走る 茶屋の娘はソレ出て招く

 招けど船の寄らばこそ 帆かけて来い も一つ

☆恋の車にお米をのせて 江戸に送ろか大阪に行こか

 又は浪花の島原に 帆かけて来い も一つ

☆沖の暗いのに白帆が見える あれは紀の国ソレみかん船

 明日はみかんの市が立つ 帆かけて来い も一つ

☆前の山椒の木 三四郎さんと 思うて抱いたらわしゃ目をついた

 どうせ養生せにゃならぬ 帆かけて来い も一つ

メモ:今は踊られていない。

 

 

 

●●● お夏清十郎 ●●●

 古い唄本や『民謡大観』に類似する節をもつ唄が見当たらないが、その曲調からして座敷踊り用に作られたものだろう。この種のものは「菅笠節」をはじめ、他県にも種々残っている。また、時代が下がると歌謡曲にもなり東海林太郎「お夏清十郎」、日本橋きみ榮「お夏狂乱」、美空ひばり「お夏清十郎」等が広く知られている。

 さて、ここに集める「お夏清十郎」は、長篇の「お夏清十郎」の要点をかいつまんで近世調2首ずつを対にしてまとめたもので、よく工夫されている。節もよく、旋律に対して文句がかっちりと乗っているので無理な音引きや生み字がない。そのため唄い易いが、ところどころに若干の外しがあり都節に近い音程も感じられ、それなりに洗練された印象を受ける。また、各節囃子の後に入る三味線もごく単純な手の繰り返しではあるが、あっさりしていてなかなかよい。

 

盆踊り唄「お夏清十郎」 佐伯市宇山・汐月・江頭・津志河内・小島(下堅田)、長谷(上堅田) <小唄、三下り> 

☆お夏どこ行く手に花持ちて わしは清十郎の ヨイヨー

 墓参り(アラソノ ヨイトナー サーヨイトナー)

☆み墓参りて拝もとすれば 涙せきあげ拝まれぬ

☆清十郎二十一お夏は七つ 合わぬ毛抜きを合わしょとすれば

☆合わぬ毛抜きを合わしょとすれば 森の夜鴉 啼き明かす

☆向こう通るは清十郎じゃないか 笠がよく似た菅の笠

☆笠が似たとて清十郎であれば お伊勢参りは皆清十郎

メモ:下堅田北部および上堅田の唄い方は、「サーヨーイトーナー」の末尾をぐっとせり上げて短く止めるところが耳に残る。踊り方はこの地域に残る10種の中でも易しい方で、二重の輪が立つ。右手に開いた扇子を持って踊る。

(踊り方)

A 下堅田北部・上堅田 右回りの輪(右手に開いた扇子)

・扇子を右肩に乗せ、左手は下ろして束足にて待つ。

「お夏どこ行く手に花持ちて」

・右手の扇子は肩に乗せたまま、左手を前方に振り上げて軽く握りつつ、左足を裏拍で左前に踏み、右足・左足と早間で進む。足のみ反対にて右前へ、同様に左前へ、右前へ(継ぎ足4回にて千鳥に進む)。

・両手で扇子の要からやや外側をつまみ正面にアケで構え、左上へ、右上へ…と交互に4回仰ぐ。このとき、左足から交互に4回蹴り出す。

・扇子の持ち方はそのままにすくい上げ、扇子を手前に倒して要を前に出す。このとき、左足を裏拍で左前に踏み、右足・左足と早間で進む。

「わしは清十」

・手は同じに、足のみ反対で右前へ。

・左上に回し上げるように2回仰ぎつつ、足は反対で左前へ(継ぎ足3回で千鳥に進む)。

「郎のヨイヨー墓参り、アラ」

・扇子の持ち方はそのままで、右上へ、左上へ…と交互に7回仰ぐ。このとき、右足から交互に7回蹴り出して右回りに一周する。

・扇子の持ち方はそのままにすくい上げ、扇子を手前に倒して要を前に出す。このとき、左足を裏拍で前に踏み、右足・左足と早間で進む。

「ソノ、ヨーイートーナー、サーヨー」

・左手を扇子から離して、両手を右に巻くように大きく流しながら、右足を裏拍で右後ろに踏み、左足・右足と早間で右後ろにさがる。

・両手で扇子をアケに持ってすくい上げ、扇子を手前に倒して要を前に出す。このとき、左足を裏拍で前に踏み、右足・左足と早間で進む。

・左手を扇子から離して、両手を右に巻くように大きく流しながら、右足を裏拍で右後ろに踏み、左足・右足と早間で右後ろにさがる。

「イートーナー」 左から交互に流しながら、左足から3歩裏拍で進む。

(三味線)

・両手を右に巻くように大きく流しながら、右足を裏拍で右前ろに踏み、左足・右足と早間で進む。

・反対動作

・右、左と流してそのまま扇子を右肩に乗せ、左手を前方に振り上げて軽く握って下ろす。このとき、右足から2歩裏拍で前に出たら、右足を前から引き戻して束足になる。

このまま冒頭に返る。

 

盆踊り唄「お夏清十郎」 佐伯市泥谷(下堅田) <小唄、二下り>

☆お夏どこ行く手に花持ちて わしは清十郎の

 ほんに清十郎の墓参り(アラソノ ヨイヨナー サーヨイヨナー)

☆向こう通るは清十郎じゃないか 笠がよく似た ほんによく似た菅の笠

☆笠が似たとて清十郎であれば お伊勢参りは ほんに参りは皆清十郎

☆み墓参りて拝もとすれば 涙せきあげ ほんにせきあげ拝まれぬ

メモ:北部の集落とは調弦が違うほか。節が若干あっさりとしており、やや雰囲気が異なる。上句の冒頭は高調子になっていて、ここの音程が陽旋の音階から上に外れて都節に近くなっており、典雅な雰囲気がある。また下句では、北部では「ヨイヨー墓参り」と唄うところを同じ尺で「ほんに清十郎の墓参り」と唄っており、より字脚がかっちりと乗っている。そのためこちらの方が唄い易く、間も取りやすい。囃子の末尾も異なり、せり上げずに静かにのばす。派手さはないが、あっさりとした中にも節回しがよく工夫されているように感じる。踊りは「伊勢節」と「様は三夜」の所作を組み合わせたようなもので、こちらの方がやや難しい。

(踊り方)

B 泥谷 右回りの輪(右手に開いた扇子)

・扇子を右肩に乗せ、左手は下ろして束足にて待つ。

「お夏どこ行く」

・左手を前方に振り上げて軽く握りながら左足を蹴り出して前に踏み、右足を輪の内向きに踏む。

・以下、手は同様にて左足を蹴り出して前に踏み、右足を輪の外向きに踏む。

・左足を蹴り出して前に踏む。

・両手で扇子の要よりもやや外側をつまむようにアケに持ち、こねまわすように右、左、右・右、左、右と胸の高さで流す。このとき、その場にて右足、左足と踏んで右足空踏み、右足、左足、右足と踏む。

・左足を後ろに踏んで扇子をアケで下ろし、右足、左足・右足と継ぎ足で右前に進みながら扇子をすくい上げていき、末尾にてストンと下ろす。

「わしは清十郎の」 手は同じことの繰り返しで、足を反対に左前、右前、左前と進む(都合4回、継ぎ足で千鳥に進む)。

「ほんに清十郎の」

・右足を輪の内向きに出して(加重せず)、両手を左上から右後ろに大きく流して戻す。

・両手を右、右と流す。このとき右足をトントンと踏み、2回目のときに右足に加重する。

「墓参り、アラソノ、ヨー」

・扇子をこね回すようにして左、右、左と流しながらその場で右回りに一周する。

・左手を扇子から離して、両手を右下から左下へ、フセで山型に流しつつ、右足を左足の前に踏みこむ。

「イーヨーナー、サーヨーイーヨーナー」

・両手で扇子の要よりもやや外側をつまむようにアケに持ち、左足、右足・左足と継ぎ足で左前に進みながら扇子をすくい上げていき、末尾にてストンと下ろす。

・手は同じことの繰り返しで、足を反対に右前、左前と進む(都合3回、継ぎ足で千鳥に進む)。

・右足を前に出し、両手を顔の前にさっとすくい上げてきまる。

(三味線)

・扇子を顔の高さで、右に2回こね回すように仰ぐ。このとき、右足を右前に踏んで左足に踏み戻し、すぐ右足に踏み戻す。

・扇子の高さを保って、左に2回、こね回すように仰ぐ。このとき、左足を左前に踏んで右足に踏み戻す。

・左足に踏み戻して右足を前に踏み込みながら、左手を扇子から離して両手を左下に捨てる。

・扇子を引き上げて右肩に乗せると同時に左手を振り上げて握る。このとき、右足を前から引き戻して束足になる。

このまま冒頭に返る。この踊りは間の取り方が難しく、「お夏どこ行く」のところは唄に合わせないと帳尻が合わなくなるほか、右に一周したあとの所作には食い気味かからないと次に出遅れてしまう。

 

 

 

●●● きりん ●●●

 類似の節回しを持つ唄がほかに見当たらない。「きりん」の用字もわからず、全く意味がわからない。麒麟か騏驎か、または別の字か。いずれにしても文句の内容とは全く関係のない言葉である。或いは、四国や広島、佐賀関で盛んに唄われている盆踊り唄(節はそれぞれ異なる)に「キソン」があるが、それを読み違えて「キリン」としたのかとも考えたが、口承なのでその可能性は極めて低いだろう。または「関の女郎衆と」云々の文句から推して、「高尾」とか「夕霧」のように、太夫の源氏名か何かかもしれない。ただし各節の文句に連絡はなく、一応「清十郎二十一」云々を首句としている。紹介した4首のほかに「お夏々夏かたびらよ」云々や「お夏どこゆく」云々の文句も聞いたことがある。

 この種の唄は西野に残るのみとなっているが、西野に伝わる一連の小唄踊りの曲目の中でも、ちょっと毛色が違っている。頭3字の部分は拍子から外れ、節をためて仰々しく唄う。それから先は「花笠」や「しんじゅ」と同程度のテンポで、節の起伏が大きく変化に富んだ節である。また、上句末尾の「ヤレーソレーソレ」の囃子が終わらないうちに中句にかかるのだが、この部分の間合いがとても難しい。そして下句末尾の「アーソーレー、ソーレードッコイ…」云々の囃子の後に三味線の合の手が全く入らず、1呼間程度休んだらすぐに次の文句に移る。騒ぎ唄、座興唄の雰囲気が薄く、元々はどういう意図で作られた唄なのか皆目わからない。

 

盆踊り唄「きりん」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、三下り、女踊り>

☆清十郎二十一お夏が七つ(ヤレーソレーソレ)

 合わぬ毛抜きを合わしょとすれば(アーオーイ) 森の夜鴉鳴き明かす

 ヨイヤサー(アーソーレー ソーレードッコイ ソーレーヤートヤー)

☆天下太平治まる御代に 弓は袋にその矢は壺に 槍は館のお広間に

☆関の女郎衆と将棋の駒は 差しつ差されつ差し戻されつ 金銀なければ不挨拶

☆関の女郎衆と御手洗つつじ 宵につぼみて夜中に開く 朝の嵐に散り散りと

メモ:手踊りの「しんじゅ」と共通の所作が目立つ扇子踊りで、扇子は始終開きっぱなしだが、たいへん手が込んでいる。各節の頭3字以外は一定の拍子なのに、音引きの多い節の長短によってあてがう所作の間合いが異なるため、一つの二つの…と数えながら踊ることができない。数呼間に亙る悠長な所作と、1呼間ずつにかっちりはまった所作とが入り組んでおり、帳尻を合わせながら踊る必要がある。唄の節を完全に覚えておかないと踊れないため踊り手の減少が著しく、「お市後家女」で二重に膨れ上がった踊りの輪が「きりん」の段になると総崩れの始末で、一重の輪がやっと立つ程度になってしまう。

(踊り方)

右回りの輪(右手に開いた扇子)

・輪の中を向き、左手は腰に当て、右手は扇子をアケに返して体前に引き寄せ、左足加重にて右足を輪の中向きに伸ばして出し、上体を少し前に倒して待つ。

「清十郎」 左手はそのままに、右足加重にて右手を巻くようにしてフセに返した扇子を前方高くにせり上げてかざしながら左足つま先を後ろにトンとつく。

「二十一」 両手を振り上げて左足を左に出し、両手を左下に下ろしつつ右足を左足の前に交叉して上体を左にひねったらすぐ左足を抜いて左に出し、そのまま両手を右上に上げつつ左足を右向きに踏み、右を向いて左手・右手の順に右側で上げて扇子をクルリと返して右足に加重、両手をフセで静かに下ろしつつ上体を左にひねる。

「お夏は七つ」 左手・右手の順に左側で上げて扇子をクルリと返して左足を右向きに踏み、両手をフセで右下にアケで左上に上げて手首を返し、左足を右向きに踏みかえて加重し右足も右向きに踏みかえて静かに下ろし、右足を元の向きに踏み直して再度、左手・右手の順に左側で上げて扇子をクルリと返して左足を右向きに踏み、両手をフセで静かに右下に流す。

「ヤレーソレー合わぬ」  両手をフセ(扇子の面は垂直)で、左前から交互に3回押し出すように流しつつ左足から3歩進み、両手を右側にアケで開き下ろしながら、右足を右向きに伸ばして出して(加重せず)、上体を少し前に倒す。

「毛抜きを合わしょとすれば、アー」 両手を振り上げて、右足を左足の前に交叉して上体を左にひねったらすぐ左足を抜いて左に出し、そのまま両手を右上に上げつつ左足を右向きに踏み、右を向いて左手・右手の順に右側で上げて扇子をクルリと返して右足に加重、両手をフセで静かに下ろしつつ上体を左にひねる。左手・右手の順に左側で上げて扇子をクルリと返して左足を右向きに踏み、両手をフセで静かに右下に流し、末尾にて右足を右輪の向きに踏み直す。

「オーイ、森のよが」 左下で扇子をトンと打ちながら、左足を伸ばして出して(加重せず)、上体を少し前に倒す。上体を起こしつつ両手を上げていきながら左足に加重、両手を右下にアケで開き下ろしながら、右足を伸ばして出して、上体を前に倒す。上体を起こしつつ両手を上げて扇子を回してフセにしながら右足を前に踏む。

「らす鳴き明かす」 両手をフセ(扇子の面は垂直)で、左前から交互に3回押し出すように流しつつ左足から3歩進む。右足を輪の中向きに少し出してつま先を地面につけ、右手をやや下向きに前に伸ばして扇子を鏡にする。

「ヨーイーヤーサー」 その場にて右手は動かさず、左手の肘から先を、手首を返しながら縦にクルリクルリと回して静かに下ろす。

「アーソーレー、ソーレードッコイ、ソーレーヤートーヤー」 両手をフセで左上に上げつつ、左足を右輪の向きに踏む。両手を右側にアケで開き下ろしながら、右足を輪の中向きに伸ばして出して、上体を前に倒す。右足を右輪の向きに踏みかえ、反対動作にて両手を開き下ろす。両手を上げつつ左足を輪の中向きに踏みかえ、左手を腰に当て、右手は扇子をアケに返して体前に引き寄せながら、右足を輪の中向きに伸ばして出して(加重せず)、上体を少し前に倒す。

これで冒頭に返るのだが、ここで拍子が崩れる。やや食い気味に冒頭の所作にかかった方が、踊りやすい。全体的に拍子とつかず離れず、微妙な間合いで帳尻を合わせていくところが多い。その勘所、目安となるきめの所作がいくつかあるのだが、そこをよく覚えておく必要がある。

 

 

 

●●● チョイトナ ●●●

 元々は遊郭で唄われた流行小唄、騒ぎ唄の類なのだろうが、今のところ類似する唄に行き当たっていない。

 

盆踊り唄「チョイトナ」 佐伯市西野)(下堅田) <小唄、二上り、女踊り>

☆天地天野の秋の日の(アレチョイトナー) 刈穂の上の(オイオイ) 群雀

 引くに(オイオイ) 触らぬ鳴子縄 アチョイトナー(ソレーソレーソレ)

☆酒はよいもの色に出て 飲みたや加賀の菊酒を 飲めば心はうきの島

☆父は長良の人柱 鳴かずば雉も撃たれまい 助け給えやほけきょ鳥

メモ:「しんじゅ」と同じテンポで、こちらは陰旋法。これをはずんだリズムにすれば、いかにも「騒ぎ唄」のような雰囲気になる。3節のみしか記録がないも、いずれも「鳥」に関連する文句でまとめてある。それなりに工夫されたよい唄だと思うが、残念ながら廃絶している。

 

 

 

●●● 数え唄 ●●●

 数え唄といってもいろいろあるが、このグループは所謂「一つとせ節」の類である。この種のものは座興唄はもとより、瓦版売りの客寄せや遊び唄としても広く唄われたほか、小学唱歌にも取り入れられたこともあり今でも広く知られている。地方色のあるものとしては「銚子大漁節」が著名。大分県内でも方々で採集されている。そのほとんどが「わらべ唄」としての採集だが、毛色の違うものとしては津鮎踊り(湯布院町)の演目「一つ拍子」がある。

 

盆踊り唄「数え唄」 佐伯市府坂・竹角(下堅田)、黒沢(青山) <小唄>

☆一つとのよのえ 柄杓に杖笠おいずるを 巡礼姿で父母を 訪にょうかいな

☆二つとのよのえ ふだらく岸うつみ熊野の 那智の小山に音高く 響こうかいな

☆三つとのよのえ 見るよりお弓は立ち上がり 盆にしろげの志 進上かいな

☆四つとのよのえ ようまあ旅に出しゃんした さだめし親子と二人連れ 同行かいな

☆五つとのよのえ いえいえ私二人旅 父さん母さん顔知らず 恋しいわいな

☆六つとのよのえ 無理に押し遣る餞を 僅かの金じゃと志 進上かいな

☆七つとのよのえ 泣く泣く別れて行く後を 見送り見送り伸上がり 恋しいわいな

☆八つとのよのえ 山川海里遥々と 憧れ訪ねる愛し子を 返そうかいな

☆九つとのよのえ 九つなる子の手を引いて 我が家に帰りて玄関口 入ろうかいな

☆十とのよのえ 徳島城下の十郎兵衛 我が子と知らず巡礼を 殺そうかいな

メモ:文句は「傾城阿波鳴門(巡礼お鶴)」で、簡潔な文句に長い物語の要点がつまっており、しかも数え唄として文句を整えているが全く違和感がない。このように段物の文句を「数え唄形式」でまとめた例は「鉄砲伝来数え唄」や「八百屋お七」の数え唄などが知られており、県内でも「わらべ唄」として採集された例がある。各節唄い出しの「一つとのよのえ」とか「二つとのよのえ」…は、おそらく「一つ唱えようのうエ」といった程度の意味で、結局は「一つとせ」と同じことだと思う。この「数え唄」はテンポがややゆっくりで、三味線伴奏も唄の節をなぞるだけでなくきちんとした手がついている。節がやや端唄風に変化していて、洗練された印象を受ける。

 

 

 

●●● いろは ●●●

 これは各節の頭の文句を「い」「ろ」「は」…の順になるように唄っていく数え唄形式のもので、近世調の文句を並べ立てただけではあるがなかなか凝っている。節も複雑で、上句につく「ソーレジャワーソーレジャワー」の囃子のあと、三味線の合の手が入るとテンポを少し落として下句を唄い始めるなど、よく工夫されている。文句は俗っぽいが陽旋の古色ゆかしい節回しで、小唄というよりは「小歌」といった雰囲気がある。

 元唄は近世調の字脚の流布以降に唄われた流行小唄であることは疑いようがないが、節の感じから、同じ近世調であっても「お夏清十郎」や「高い山」などよりは古いような気がする。踊りを伴わずに、単に端唄として聴くだけでもなかなかよい唄だと思うが、藤本二三吉や山村豊子などのレコードにも残っていない。大正~昭和初期には、既に端唄としての伝承は絶えていたのだろう。佐伯市西野にのみ細々と残っていたが廃絶しており、県外他地域も含めて、全く残っていないのが惜しまれる。

 

盆踊り唄「いろは」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、二上り、女踊り>

☆アリャドッコイ いの字がエ いの字がエ ヤレーサテーナ

 いの字で言わば サイナー いつの(ドッコイ) 頃より

 つい馴れ初めて(ドッコイ) ソーレジャワー ソーレジャワー(合)

 「今は思いの種となる 恋じゃえ ソーリャー

☆ろの字がえ ろの字がえ ろの字で言わば 路地の駒下駄つい踏み鳴らし

 「あとは思いの種となる 恋じゃえ

☆はの字がえ はの字がえ はの字で言わば 羽交揃えて空舞う鳥も

 「吹いて止めます尺八の 音色かな

☆にの字がえ にの字がえ にの字で言わば 憎い男のその立ち振りは

 「思い直して晴れ晴れと 恋じゃえ

☆ほの字がえ ほの字がえ ほの字で言わば 惚れた男のその立ち姿

 「長い羽織に落とし差し 恋じゃえ

メモ:この唄は西野にのみ伝わっていたが、既に廃絶している。加藤正人先生の採集された音源を聴いてみたところ、テンポは「花笠」と同程度。西野に伝わる堅田踊りの中でも最も難しい唄で、一節がとても長い。踊りも難しかったとのこと。

 

 

 

●●● お染久松 ●●●

 節は異なるが、この唄と「智恵の海山」には類似点が多い。節の切れ目にコロビを入れずにストンと短く切って唄うところが似ているし、末尾の囃子「ホホお染さんせ」の節は「智恵の海山」の「アーそうじゃいな」の囃子と全く同じである。字脚が違うため異なる節がついているものの、両者は元々は同じ系統のものであると考えられる。

 音頭も三味線も早間で、浮き立つような雰囲気である。特に三味線の弾き方が早間で、賑やかでとてもよい。

 

盆踊り唄「お染」 佐伯市石打(下堅田) <小唄>

☆夕べの風呂の上がり場で(合) この腹帯を(コラセ) 母さんに

 見つけられてこりゃお染 この腹帯は何事ぞ ホホお染さんせ(ハイ)

☆父は高いのを上と言うて 母は低いのを 上と言う

 何のことかと問うたなら 上りかまちのことじゃげな お染さんせ

☆ここは都の大阪で きいつ着物を 角屋敷

 瓦屋橋とや油屋の 一人娘のお染とて お染さんせ

☆夕べお染が寝間にいて といつくどいつ 異見すりゃ

 泣いてばっかりいやしゃんす 泣いてばっかりいるわいな お染さんせ

☆さても優しき蛍虫 昼は草葉に 身を隠し

 夜は細道 灯をとぼす 今の若い衆のためになる お染さんせ

メモ:「智恵の海山」と同じく手拭踊りだが、こちらの方がずっと難しい。一つひとつの所作は易しくても、手数が多いしテンポが速めなのでついていくのは容易ではない。輪の中を向いて端と端を両手で持った手拭を振り上げては両足を出したりするのもよいし、右手に持った手拭をさっと左に振り上げて左肩にひっかけながらクルリと左に回って後ろ向きになる部分がまた何とも言えない風情で、とてもよい踊りである。

 

 

 

●●● 大阪節 ●●●

 節はかなり変化しているが、おそらく「猿丸太夫」や「笠づくし」と同種と思われる。ゆったりとしたテンポだが一息は長くないし、ことさらな音引きや細かい節回しもなく、あっさりとした節で比較的易しい方である。また三味線も唄の節をなぞるような弾き方だし、一節唄うごとに挿む短い合の手もごく簡単な手の繰り返しで、「淀の川瀬」などの技巧に富んだものに比べるとごく単純な印象を受ける。それでも、陽旋で唄っておいて下句で一瞬、下にはずして陰旋化するようなところなど、お座敷風の雰囲気がよく出ている。

 

盆踊り唄「大阪節」 佐伯市府坂・竹角(下堅田) <77・75一口>

☆大阪出てからまだ帯ゃとかぬ 帯はとけても気はとかぬ

☆ござれ話しましょ小松の下で 松の葉のよに細やかに

☆松の葉のよな細い気持たず 広い芭蕉葉の気を持ちゃれ

 

盆踊り唄「芸子」 佐伯市波越(下堅田) <77・75一口、二上り>

☆わしは卑しき芸子はすれど 言うた言葉は変わりゃせぬ

 ヨーイヨーイ ヨーイヨーイヤナー

☆縞の木綿の切り売りゃなろが 芸子切り売りゃそりゃならん

☆わしは今来てまたいつござる 明けて四月の茶摘み頃

メモ:左手に開いた扇子、右手に畳んだ扇子を持って踊るのだが、開いた方の扇子よりも畳んだ扇子の方に重きを置いている。おそらく昔は、右手には提灯を提げた棒か何かを持って踊っていたのだろう。波越の踊りの中では最も簡単な部類で、覚えやすい。

(踊り方)

右回りの輪(右手に畳んだ扇子、左手に開いた扇子)

・右手の扇子を右肩に乗せ、左手の扇子はフセにて腹にあてておく

「わしは」 手は動かさずに(※)左足から早間に3歩進んで、右足を蹴り出して前に踏む。

「卑しき」 左足、右足と後ろから蹴り出しながらゆっくり進む。

「芸子は」 両手を2回振り上げつつ、左足、右足と踏みかえて輪の中を向く。

「すれど」 左足を左に伸ばして出し両手をめいっぱい左に流して体を左にひねり、末尾にてサッと両手を右に戻す。

「言うた言葉は」 両手を左に流しておろし正面にて振り上げる(左で輪を描くように)。これをもう1度繰り返す。このとき、左足から交互に小さく外八文字を踏む。

「変わりゃせぬ」 左足を左に伸ばして出し両手をめいっぱい左に流して体を左にひねり、末尾にてサッと両手を右に戻して右手の扇子を右肩に乗せる。

「ヨイヨイヨイ」 右手は動かさずに、左手の扇子を山型に高く、左から交互に4回振る。このとき、左足から裏拍の4歩で右回りに1周する。

「ヨイヤナー」 左足を前に伸ばして出し両手を左に流して、末尾にてサッと両手を右に戻して右手の扇子を右肩に乗せる。

(三味線)

・右手は動かさずに、左手の扇子を山型に高く、左から交互に4回振る、このとき、左足から裏拍で4歩、前に進む。

このまま冒頭に返るので、2節目より※印の箇所にて左手を下ろし開いた扇子を腹に当てるようにする。

 

 

 

●●● 浮名節 ●●●

この唄は古い流行小唄で、国会図書館のインターネットサービスにより『小唄の衢』などの古い唄本をいろいろ見てみると、これに酷似した唄を見つけることができる。ただし字脚が異なっており、元唄の文句の一部を省いているところも見られる。堅田踊りの演目としては西野にのみ伝承されていたが、廃絶して久しい。

 <参考>

 流行小唄「浮名節」

 ☆浮名は立つとも変わるまい 身はただ塵と 塵と捨てられぬ 

  たとえいずくに行くとても どうせ どうせ二人が浮名立つ 

 ☆仏の奥の大黒は 福神ならで貧乏 貧乏神 

  末は仏を質に入れ ナンマイダー ナンマイダーで浮名立つ

 ☆かたえの烏帽子 紅桔梗 身の性かくす嵯峨の 嵯峨の奥

  柴の庵の鉦の声 ナンマイダー 祇王祇女とて浮名立つ

 ☆わが身の上を夜もすがら 涙とともに懺悔 懺悔して

  あたら黒髪二世三世 小指 切れば切るとて浮名立つ

 ☆心の内は白芥子の 花より早き夏の 夏の風

  長い羽織に合わせびん 五分裂きゃ 粋と無粋の浮名立つ

 ☆浮気をやめて一筋に 末長かれと頼む 頼む身の

  逢う夜嬉しき実話 異見 怖いこととて浮名立つ

 

盆踊り唄「浮名」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、本調子、女踊り>

☆浮名は立つとも変わるまい 身はただ塵と捨てら 捨てられぬ

 ナンマイダー コラセ ナンマイダーで浮名立つ

 ハレワイサーコノ トチンチン トチンチチンチリ チリツンシャン

 ヤレーサーテー ヤレーサーテー ヤーヤートヤー

☆恋しき人のためじゃとて しきびの花を手向け 手向けつつ

 ナンマイダー ナンマイダーで浮名立つ

☆仏の奥の大黒は 福神ならで貧乏 貧乏神

 ナンマイダー ナンマイダーで浮名立つ

メモ:加藤正人先生の録音された音源を図書館で聴いてみると、他の曲目は三味線つきなのに、これのみ無伴奏で唄っている。きっとトチンチン、トチンチチンチリチリツンシャンの部分は本来は三味線の節であったのを、口三味線としたのだろう。陰旋のしっとりとした曲調で、なかなかよい節である。

 

 

 

●●● 新茶 ●●●

 これは古い流行小唄「裏の背戸屋」だが、現行の節とは全く違う。いま知られている「裏の背戸屋」は、声楽家の関屋敏子が戦前に新しくつけた節である。関屋敏子はオペラ、歌曲、外国民謡などで名を馳せたが、俚謡や長唄、端唄など日本の唄も好んだという。それで、新しい試みとして、俚謡や端唄・小唄などの文句に、元唄の雰囲気を生かした声楽向きの新しい節をつけ、「民謡」として「おばこ節」「舟に船頭」その他のたくさんの歌曲を創作している。その音源は、今でもレコードで聴くことができる。「裏の背戸屋」については、元唄の方が早くに廃絶したため、関屋敏子のつけた節を元にしてそれを三弦調に改めたものが広まった。藤本二三吉のステレオ録音の音源を聴くと、「奴さん」や「棚のだるまさん」その他の俗曲と並べても全く違和感はなく、またクレジットにも関屋敏子の名は見られない。しかしその節は関屋敏子以降のもので、おそらく三弦唄として人口に膾炙したのは戦後になってからだろう。関屋敏子の活躍した時代に二三吉をはじめとして勝太郎、山村豊子その他の多くの歌手が吹き込んだ俗曲・端唄などのレコードに「裏の背戸屋」が全く見られないことも、こういった事情があると思われる。

 <参考>

 流行小唄「裏の背戸屋」 現行の節

 ☆裏の背戸屋に ちょいと柿植えて 柿植えて 烏の来るように

  ちょいと柿植えて 烏とまらかして オカカノカ

  カカ カカカノ カノカッカ

 ☆裏の背戸屋に ちょいと竹植えて 竹植えて 雀の来るように

  オヤ竹植えて 雀とまらかして オチュチュのチュ

  チュチュ チュチュチュガ チュノチュッチュ

 ☆裏のお庭に ちょいと梅植えて 梅植えて 鶯の来るように

  オヤ梅植えて 鶯とまらかして ホーホケキョ

  ホホ ホケキョガ ケキョケッキョ

 ☆新茶点ちょうより 濃茶お茶点ちょう 新茶を 点ちょうより濃茶点ちょう

  オヤ茶を点ちょう 濃茶点て茶点ちょうに 茶を点ちょう

  コチャ オチャチャノ チャノチャッチャ 

 

盆踊り唄「新茶」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、男踊り>

☆新茶点ちょうより 濃茶買うて ちと買うて 茶々とでな

 新茶点ちょうより 濃茶買うて ちと買うて 茶々買うて ションガイー

 アーコノ 買うて ちと買うて 茶々買うてな

☆わしはこの町の すいか ぼうぶら 売りじゃとな

 わしはこの町の すいか ぼうぶら 売りじゃと

 すいか ぼうぶら 売りじゃとな

☆わしは黒沢の おすみ すみつけ 駄賃とり

 わしは黒沢の おすみ すみつけ 駄賃と

 おすみ すみつけ 駄賃とり

メモ:「お市後家女」と同程度のテンポで、陽旋法ののんびりとした唄である。文句を見てみると酒宴の戯れ唄にしても内容が薄っぺらで、繰り返しが多く、全体的に意味不明。西野にのみ残っていたが、残念ながら今は省略している。

 

 

 

●●● ぼんさん忍ぶ ●●●

 これは流行小唄「コチャエ節」の一種である。一口に「コチャエ節」といっても数度の流行時期があったようで、それぞれに節が異なる。現行のものとしては「お江戸日本橋七つ立ち」の節が広く知られているほか、それとは別の「市川文殊、智恵文殊」の唄も著名である。また「コチャかまやせぬ節」という変調もあって、普通「コチャエ、コチャエ」と囃すところを「コチャかまやせぬ」と囃す。この節自体は廃絶しているも、それを元にした流行小唄「お前とならばどこまでも」は今でもよく知られている。

 さて、「坊さん忍ぶ」の唄は九州各地に転々と伝わっている。大分県下全域で座興唄や作業唄として親しまれたほか、福岡県でも盆踊り唄(竹の盆踊り)や座興唄として、また宮崎県でもよく唄われたようだ。これらのうち、耶馬溪辺りで唄われたのは「コチャヤレ節」といって「コチャエ節」を早間にして「コッチャヤレコッチャヤレ」と囃すものだが、下句の字脚が8・4になっている文句も見受けられ、古調の名残が感じられる。それに対して堅田踊りのものは「コチャヤレ節」から離れて、テンポがのろい。特に唄い出しの部分は「コチャエ節」との差異が大きく、「与勘兵衛」とほとんど同じである。「与勘兵衛」は、もとは「よかんべ節」などと呼ばれた流行小唄だったのだろうが、或いはその「よかんべ節」とやらは「坊さん忍ぶ」の字余りの文句の変調なのではあるまいか。今となっては推測の域を出ないが、両者を連続して唄っても全く違和感がない。

 ところで、この種の唄は「お江戸日本橋七つ立ち」の唄は別として、一般に各節の文句には連絡がなく、字脚の合う文句を自由に取り混ぜて唄う性質のものである。それなのに、大分県内各地で一列に「坊さん忍ぶは闇がよい」を首句にしているばかりか、福岡県その他においても同様の事例が多く見られる。他県で流行した別の唄でも、「土佐の高知の播磨屋橋で…」とか「新保広大寺がめくりこいて負けた…」のように、お坊さんを茶化したような文句が見られる。寺社の権力が大きかった時代ならではのことで、「坊さん忍ぶは闇がよい」もそれなりの面白味をもって親しまれていたのだろう。

 

盆踊り唄「ぼんさん忍ぶ」 佐伯市府坂・竹角(下堅田) <小唄、二上り>

☆ぼんさん忍ぶは闇が良い ソーレ月夜には 頭がぶうらりしゃあらりと

 コチャ 頭がぶうらりしゃあらりと

☆お前待ち待ち蚊帳の外 蚊に食われ

 七つの鐘の鳴るまでは 七つの鐘の鳴るまでは

☆お前さんとならばどこまでも 奥山の

 ししかけいいとろの中までも ししかけいいとろの中までも

☆ここは石原 小石原 ちょっと出て

 下駄のはまちゃんとしもうた 下駄のはまちゃんとしもうた

 

盆踊り唄「ぼんさん忍ぶ」 佐伯市黒沢(青山) <小唄>

☆ぼんさん忍ぶは闇が良い(ソレ) 月夜には 頭がぶうらりしゃあらりと

 コチャ 頭がぶうらりしゃあらりと(ヨイ)

☆ぼんさん袂から文が出た 文じゃない 手習い子供の書き崩し 手習い子供の書き崩し

 

 

 

●●● 竹に雀 ●●●

 まだ聴いたことがないのでよくわからないが、おそらく古い流行小唄の転用だろう。

 

盆踊り唄「竹に雀」 佐伯市石打(下堅田) <77・75一口、二上り>

☆竹に雀がしな良くとまる 止めて止まらぬ色の道

 「サマ 三石六斗で二升八合 サマションガエー

☆お前や加古川本蔵が娘 力弥さんとは二世の縁

 「サマ 三石六斗で二升八合 サマションガエー

☆お前や嫌でもまた好く人が なけりゃ私の身が立たぬ

 「サマ 三石六斗で二升八合 サマションガエー

メモ:囃子の「三石六斗で二升八合」の意味をつくづく考えてみたのだが、どうしてもわからない。何らかの語呂合わせだろうか。

 

 

 

●●● ヒヤヒヤ節 ●●●

 古い流行小唄の転用で、短調な囃子の末尾に「ヒヤヒヤ」等の囃子をつける程度のもの。なお「ドッコイショ節」の変調「春は嬉しや」の末尾に「ヒヤヒヤ」の囃子をつける場合があるが、それとは無関係。

 

盆踊り唄「団七棒踊り」 佐伯市石打(下堅田) <77・75一口>

☆富士の白雪朝日でとける 娘島田は寝てとける(アーヒヤ アーヒヤ)

☆娘島田に蝶々がとまる とまるはずだよ花じゃもの

メモ:石打にのみ伝承されていたが、今は踊っていないようだ。普通「団七踊り」というと、「姉の宮城野妹の信夫」云々の、志賀団七の仇討口説、白石口説に合わせて3人組で棒を打ち合いながら踊るものである。この踊りは全国各地でかつて異常なほどの流行を見せたようで、大分県内でも広範囲に亙って踊られていた。今でも、日田・玖珠地方、大野・直入地方に広く残るほか、海部地方でも大入島、保戸島、小半、臼坪などに転々と残っていた(保戸島では平成に入ってから復活)。しかし石打のそれは、文句を見てみると「志賀団七」の段物ではなく、当たり障りのない近世調の一口文句で、各節に連絡がない。おそらく、古くは段物をやっていたのではないだろうか。なお、「堅田踊り」の一種として、延岡の「新ばんば踊り」の節に志賀団七の文句を乗せた唄が紹介されている本を見たことがある。「新ばんは踊り」は延岡はおろか、西臼杵郡、県境を越えて南海部郡まで非常に流行し、今でも佐伯市街地の盆踊りで村田英雄の吹き込んだ音源に合わせて盛んに踊られているし、城村あたりでは堅田踊りの合間に余興的に踊られている。しかし、これはあくまでも新作踊り、余興の踊りであって本来の「堅田踊り」ではなく、石打の「団七棒踊り」とは全く別物である。

 

 

 

●●● 様は三夜 ●●●

 節の上り下りの起伏に富んだ節だが無理のない節回しで唄い易く、のんびりした明るい雰囲気の唄である。堅田踊りの曲目の中ではずいぶん田舎風の印象を受ける。酒宴の騒ぎ唄といった感じでもなく、田植唄や池普請唄、またはものすり唄として唄われたものが三弦化したものではないかと思う(三味線はほとんど唄の節をなぞるばかりで、合の手もなく、後付けだろう)。

 文句は77・75の一口口説で各節に連絡はなく、しかも特に珍しくもないものが多い。また、首句の「様は三夜の」云々から末尾を「様はよいよなあ」と結んでいるが、これは全ての文句に共通である。色恋の文句が多いので特に違和感はないが、どうしてもとってつけたような感じがする。或いはこれも後付けであって、元唄は返しの「見たばかり、宵にちらりと見たばかり」と唄ったらすぐに次の文句に移っていたのではないだろうか。こうすると、節の切れ目が次に続くような音程で終わるため、もし作業唄として唄われたのであればこの方が都合がよさそうだ。逆に言えば、「様はよいよな」が末尾につくことで一応、ここで節が途切れており、俗曲調の雰囲気をそれなりに出すことができているといえる。なお、囃子は音階から外れて地口になっている。

 

盆踊り唄「様は三夜」 佐伯市泥谷・石打(下堅田) <77・75一口、二上り>

☆様は三夜の三日月様よ 宵にちらりと見たばかり(アラホーンボニ)

 見たばかり 宵にちらりと見たばかり(ハーテッショニ) 様はよいよな

☆咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る

 花が散る 駒が勇めば花が散る 様はよいよな

☆お前釣竿わしゃ池の鯉 釣られながらも面白や

 面白や 釣られながらも面白や 様はよいよな

☆お前松の木わしゃ蔦かずら 絡みついたら離りゃせぬ

 離りゃせぬ 絡みついたら離りゃせぬ 様はよいよな

☆お前百までわしゃ九十九まで ともに白髪の生ゆるまで

 生えるまで ともに白髪の生ゆるまで 様はよいよな

☆山があるから故郷が見えぬ 故郷可愛や山憎い

 山憎い 故郷可愛いや山憎い 様はよいよな

メモ:「伊勢節」と並んで、泥谷を代表する踊りといってよいだろう。扇子を両手で持ってクルリクルリとこね回しては継ぎ足で進んでいく所作がなんとも優美だが、同じ所作の繰り返しが多く、わりと覚えやすい。

(踊り方)

右回りの輪(右手に開いた扇子)

・扇子の親骨の中間程度の位置を両手でアケに持ち、右上に掲げておく。

「様は三夜の、三日」 扇子の持ち方はそのままに高さを保って、右に4回こね回すように仰ぐ。その際、右足を右前に踏んですぐ左足を右足の後ろに寄せて加重、右足を右前に踏み、左足に踏み戻し、右足に踏み戻す。全て小股。その反対動作で、左右左、右足、左足。

「月様よ」 扇子の扱いは同様に、右左右、左右左、右左右、左右左と早間に継ぎ足で進んでいく。

「宵に」 右足を輪の中向きに出して、扇子を両手で持ったままぐっと右後ろに仰ぎ、左上に戻す。

「ちら」 扇子を両手で持ったまま右、右と早間に仰ぎながら、右足をトントンとつく(2回目にて加重する)。

「り」 左手を扇子から離してトントンと軽く扇子を叩きながら、左足から3歩にて右回りに早間で一周する。

「と見たばかり、アラ」 扇子を両手で持ってこねまわしながら、帯の前あたりで右から交互に5回振る。足も同じで、右足から交互に5回踏む(いちいち前から引き戻して踏み、その場から動かない)。末尾にて束足になり、両手を左右に静かに下ろす。

「ホーンボニ、見た」 両手を後ろに回して、腰のあたりで下に向けた扇子を両手で持ち、右左右、左右左と早間の継ぎ足で前に進む。

「ばか」 左手を扇子から離し、両手を右下から左下へとフセで山型に流しつつ、右足を左足の前に踏みこむ。

「り」 扇子の親骨の中間程度の位置を両手でアケに持ち、左足から3歩小股で左前に進みつつ両手を上げていく。

「宵に」 右足を輪の中向きに出して、扇子を両手で持ったままぐっと右後ろに仰ぎ、左上に戻す。

「ちら」 扇子を両手で持ったまま右、右と早間に仰ぎながら、右足をトントンとつく(2回目にて加重する)。

「り」 左手を扇子から離してトントンと軽く扇子を叩きながら、左足から3歩にて右回りに早間で一周する。

「と見たばかり、アラ」 扇子を両手で持ってこねまわしながら、帯の前あたりで右から交互に5回振る。足も同じで、右足から交互に5回踏む(いちいち前から引き戻して踏み、その場から動かない)。末尾にて束足になり、両手を左右に静かに下ろす。

「テーッショニ」  左手を扇子から離し、両手を右下から左下へとフセで山型に流しつつ、右足を左足の前に踏みこむ。

「様はよいよな」 扇子の親骨の中間程度の位置を両手でアケに持ち、左足から3歩小股で左前に進みつつ両手を上げていき、ストンと下ろす。その反対で右前へ。さらに反対で左前へ行くが、このときは3歩進んだら右足を右前向きに出し(左足加重のまま)、両手は下ろさずに高く構える。

これで冒頭に返る。同じ所作ばかりの繰り返しで、覚えやすい。

 

 

 

 

●●● 伊勢節 ●●●

 この唄は軽やかなテンポで、しかも音引きがごく少なく節に文句がかっちりと乗っているため、簡単に唄える。「伊勢節」の名から「ヤートコセ」の伊勢音頭を思い浮かべがちだが、全く別の曲である。陽旋の明るい雰囲気の節で、元々は75調を繰り返す段物口説の唄だったのではないかと思う。或いは、かつて伊勢方面で唄われた「盆口説」の一種ではないかと思うのだが、その元唄と思しきものを探し当てることができていない。三味線はほとんど音頭の節をなぞるばかりだが、賑やかな曲調によく合っており、三味線が入ることでいよいようきうきした感じになっている。

 文句を見てみると、首句の「笛の音に寄る」云々は意味が分かりづらい。「山路(さんろ)」は、おそらく真名野長者伝説(炭焼き小五郎)の関係人物を指すのだろう。きっと、元々は「笛の音による秋の鹿、妻ゆえ身をば焦がすなり」で一句なのであって、そこに「笛」から、笛の名手であったという「山路」を連想して「豊年女の山路笛」をつけたのではないか。また2節目と3節目は「そもそも熊谷直実は、花の盛りの敦盛を、打って無常を悟りしが、さすがに猛き熊谷も、ものの哀れを今ぞ知る」を2節に分けており、これは平家物語の関連である。結局、字脚の合う文句を自由奔放に唄い継いでいるだけで、各節には全く連絡がないということがわかる。

 

盆踊り唄「伊勢節」 佐伯市泥谷(下堅田) <小唄、二上り>

☆笛の音に寄る秋の鹿(マダセ) 妻ゆえ身をば焦がすなり

 豊年女の山路笛(ヨイヤサテナー ヨイヤサテナー)

☆そもそも熊谷直実は 花の盛りの敦盛を 打って無情を悟りしが

☆打って無情を悟りしが さすがに猛き熊谷も ものの哀れを今ぞ知る

☆咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る 駒が勇めば花が散る

☆一かけ二かけて三かけて 四かけて五かけて橋かけて 橋の欄干に腰かけて

☆はるか向こうを眺むれば 十七八の小娘が 片手に花持ち線香持ち

メモ:泥谷の踊りの中では最も易しいうちだが、手振りが派手で人目を引く。

(踊り方)

右回りの輪(右手に開いた扇子)

「ヨイヤサテナー」 両手を胸前から左手は左上へ、扇子は右横へパッパッと2回開く。このとき左足加重にて右足を輪の内向きにトン、トンで右足に加重する。

「ヨイヤサテナー」 両手を左へ流しながら左手は腰に当て、扇子をアケにて手前に倒して右腕を前に出す。これに合わせて左足から2歩、前に進む。

「笛の音に寄る秋」 両手は動かさずに、左足から5歩、外八文字を踏みながら右回りに一周する。

「の鹿、マダセ、妻ゆえ」 両手をアケにて左右に軽く開き下ろして右足を後ろに踏みすぐ左足に踏み戻し、両手を前にて低く交叉しながら右足を左前に踏んですぐ左足に踏み戻し、両手を胸前から左手は左上へ、扇子は右横へパッパッと2回開きながら右足を輪の内向きにトン、トンとつく(左足加重のまま)。

「身をば焦がすな」 右、左と大きく流しながらやや右にカーブしながら2歩進み、上体を右に捻じ曲げて両手を右下に下ろし、右足を左足に交叉して踏み出しながら扇子を右下から左上にアケで大きく振り上げてそのまま左下に伏せで下ろすと同時に左手を左下にアケで小さく開き、左足を輪の外向きに踏んですぐ右に踏み戻す。

「り、豊年女の山路笛」 左足を前に踏みながら、左手を右上に大きく振り上げてそのまま右下に下ろすと同時に扇子を右下にアケで小さく開き、右足を輪の外向きに踏む。その反対、反対、反対で都合4回反転しながら前に進むが、はじめの反転と違いいつも左足、右足の順に踏んでいく。4回目のときにはすぐに左足に踏み戻す。これではじめに返る。

このまま冒頭に返る。三味線の合の手が入らずに次の句に移るので、所作が途切れない。

 

盆踊り唄「南無阿大悲」 佐伯市波越(下堅田) <小唄、二上り>

☆南無弥大悲の観世音 導き給えや観世音

 いつよりわれらを流転して(ヨイヤサテナー ヨイヤサテナー)

☆むつの巷にさまよえる 大師は娑婆に流転して あらゆる苦患にさまよえる

☆今年は豊年万作じゃ 道の小草に米がなる 道の小草に米がなる

メモ:波越の踊りの最初に踊られるもので、泥谷の「伊勢節」と同じ節だが、こちらの方がややテンポがのろい。堅田踊りの曲目は流行小唄や上方唄の類の転用が目立ち、県内の他地域に広く見られる「目連尊者」その他の口説や初盆供養に関する文句は全く見られず「遊び唄」「騒ぎ唄」のイロが強い。その点において「南無阿大悲」は様相を異にしており、一応、盆踊りの開始にふさわしい文句で唄われている。踊りは地味な手踊りで、左手を腰に当てておいて、握った右手をブラリブラリと振りながら進むようなものだったと記憶している。そう難しくはなかったが足運びが軽やかで、なかなかよかった。