国東市・姫島村の盆踊り唄 2

●●● 三つ拍子 ●●●

 これは速見地方を代表する盆口説で、特に山香・日出では昔から盛んに踊られている。東国東方面では安岐町で盛んに踊られているも、武蔵町や国東町では全く廃絶している。この地方では「六調子」よりは新しい(より後から伝わってきた)踊りなのだろうが、安岐町では、簡単で揃い易いためことさらに流行し今に残ったものと思われる。ところが武蔵町や国東町では、そのテンポの速さや太鼓の叩き方が旧来の「六調子」「祭文」などとはずいぶん違うところから相容れず、一時的な流行にとどまったのだろう。

 この音頭は字脚がかっちりと乗っており、音引きが少ない。そのため唄い方が易しく、節回しには個人差があるも、大きくグループ分けするほどの差異は感じられない。他地域では一応、陰旋の節と陽旋の節とで大まかに区分できるも、当地域においては両者の区別が曖昧なので細分化は避ける。

 

盆踊り唄「三つ拍子」 安岐町西本(南安岐)、塩屋(安岐) <77段物>

☆一つ手を振りゃ千部の供養(オイサオイサ)

 ソウジャナ 千部の供養(ヤーレショ ドッコイショ)

☆二つ手を振りゃ万部の供養 万部の供養

メモ:易しい踊りで、子供もよく踊っている。この踊りで輪を立て、ハネ前にも必ず踊る。また「六調子」などで輪が小さくなってしまった後にもひとまずこの踊りに切り替えるなど、非常に親しまれている踊りである

(踊り方)

右輪の向きから

・両手を肩の高さで右から交互に4回流しながら、右足からの継ぎ足4回で前に進む。このとき右足を左足の後ろにすべらせ、そのまま前に踏む。その反対、反対…というふうに、裏拍にて加重するようにする。

・右足から2歩進み(前の所作からの連続で都合3歩)、右足を前に蹴り出す。

・輪の中向きに右足から2歩進み、右足を前に蹴り出す。

・右足から2歩さがり、右輪の向きに戻る。

・最初と同じ足運びにて右足からの継ぎ足2回で前に進む。このとき手拍子2回。

これで冒頭に返るので、継ぎ足は都合6歩になる。

 

盆踊り唄「三つ拍子」 安岐町唐見(西安岐) <77段物>

☆平井サ権八直則こそは(オイサオイサ)

 ソジャナン 直則こそは(ヤーレコラ ドッコイショ)

 

盆踊り唄「三つ拍子」 安岐町糸永(西武蔵) <77段物>

☆後で抽選会もありますほどに(アーエッサエッサ)

 ソジャソジャ 抽選会もあるし(アーラエッサ ドッコイショ)

☆踊るみなさん最後の最後 一等賞で帰ろ

メモ:市街地とは節がやや異なり、山香町上地区の「蹴出し」に大変よく似ている。

 

 

 

●●● 祭文(その1) ●●●

 「祭文」は県内のほぼ全域に伝承されておりその節回しは種々あるも、対外的にもっとも知られているのは鶴崎踊りのそれだろう。この地域にも数種類の節が伝わるが、その中で「その1」に分類したものは鶴崎踊り系のものである。ただしこちらの方がずっとのろまで、細かい節を多く入れてこねまわすようにして唄う。陽旋の節だが、一部陰旋化した節も聞かれる。これは地域差というより、個人差の範疇だろう。総じて鶴崎のものよりずいぶん田舎風だが、こちらの方が唄い方が難しい。太鼓の叩き方も独特で、音頭の部分では簡単な手を繰り返していき、上句の末尾の音引き(コラサノサ以降)と下句の長囃子のところで派手に叩くことでメリハリをつける。音頭がゆっくり唄っていても囃子の箇所で太鼓・囃子が走りがちで、テンポが乱れ易い。

 

盆踊り唄「祭文」 安岐町塩屋(安岐) <77・75一口>

☆踊りゃ 祭文しなよに踊れコラサノサ

 しなの よいのを嫁に取る(ソレエンヤ コラエンヤ ヤトヤーソレサ)

☆わしが 若いときゃ両子まで通うた 道の 小草もなびかせた

メモ:節も踊りも杵築のものとほぼ同じだが、所作は杵築に比べるとやや大きい。鶴崎踊りの「祭文」の影響が色濃く残り、手拍子の数を減らして所作を簡略化しただけである。

(踊り方)

右輪の向きから

・右足から2歩前に進む(右足のとき手拍子1回)。

・右、左と流しつつ、右足から2歩進む。このとき足をいちいち踏みかえる。手は肩の高さにて、若干差しかざし気味にする。

・右に流しつつ、右足を後ろに引く。

・左足を右足に引き寄せて束足にて手拍子。

 

盆踊り唄「祭文」 安岐町小川(安岐) <77・75一口>

☆今宵エ 忍ぶなら裏から通えコラサノサ(アーヨイショ)

 前はマ 車戸で音がする(ソレエンヤ コラエンヤ ヤットヤードッコイショ)

 

盆踊り唄「祭文」 安岐町西本(南安岐) <77・75一口>

☆咲いた桜になぜ駒つなぐ(コリャホンカイナー)

 駒がネ 勇めば花が散る(ソラエンヤ ソラエンヤ ヤットヤードッコイナ)

 

盆踊り唄「祭文」 安岐町唐見(西安岐) <77・75一口>

☆猿丸太夫 奥山に(コラサノサ)

 紅葉 踏み分け鳴く鹿の(ソラエンヤ ソラエンヤ ヤットヤードッコイショ)

 

盆踊り唄「祭文」 安岐町朝来(朝来) <77・75一口>

☆帝都離れて八百マイルコラサノサ

 国東半島の真ん中に(ソラーエ ソラーエ ヤトヤンソラエー)

メモ:囃子部分の節回しが、市街地のものとは少し異なっている。

 

盆踊り唄「祭文」 武蔵町麻田(中武蔵) <77・75一口> 

☆梅と桜を 両手に持ちて(コラドッコイショ)

 どちらネー 梅やら桜やら(ソレヨイ ソレガエ ヤットヤーソレサ)

メモ:安岐の「祭文」とよく似ているが、手拍子が1つ少ないほか、かざして流すのではなくすくい上げるような所作で踊る。安岐と国東の踊り方が似通っているのに、武蔵だけ踊りが違う。すくい上げる所作など手に目をつけてしなよく踊っている。おそらく誰かが考案した新しい踊り方が流行し、定着したのだろう。

 

盆踊り唄「祭文」 武蔵町糸原(武蔵) <77・75一口>

☆親の 意見と茄子の花はコラサノサ(アードシタ)

 千にネー 一つの徒もない

 (アーソーレガヨイ ソーレガヨイ ヤットナーソレサ)

メモ:中武蔵地区と同じ踊り方だが、こちらの方がわずかにテンポが速い。アードシタの掛け声と下の句の唄い出しが重なっており、間がつまっている。

 

盆踊り唄「祭文」 国東町北江(国東) <77・75一口>

☆お前百まで わしゃ九十九までコリャホンカイナ

 ともに白髪の生えるまで(アソレエー ソレエ ヤートヤーソレサ)

☆誰もどなたもご苦労をかけた またのお礼は馬屋の中

メモ:踊り方は安岐のものに似ているが、足の運びはこちらの方がずっと忙しく、外に外にいちいち継ぎ足で踏み出すのが特徴。手の振りも大きく、外に流しながら踊る。

 

盆踊り唄「祭文」 国東町高良(豊崎) <77・75一口>

☆入れておくれよ痒くてならぬコラサーノサー

 わたし一人が蚊帳の外(ソレエヤ ソレエ ヤートヤーンソレサイ)

 

盆踊り唄「祭文」 国東町富来(富来) <77・75一口>

☆色で迷わすスイカでさえもコラサーノサー

 中にゃナ 苦労の種がある(ソレエー ソレエ ヤートヤーソレサイ)

☆みんなどなたも覚悟はよいか 覚悟よければこの先頃で

メモ:富来のものはテンポが遅く、のんびりとした印象。陽旋で唄う人と陰旋で唄う人があるが、囃子の「ソレエーソレエ…」はいつも陽旋。

 

盆踊り唄「祭文」 国東町来浦(来浦) <77・75一口>

☆来浦浜を鳴いて通る鴉コラサノサ

 金も持たずに買う買うと(ソレーヤ ソレーヤート ヤーソレサイ)

☆来浦で名所は金毘羅様よ 島が見えますほのぼのと

☆三十五馬力の発動機船で 行くは漁が島 下関

☆親というもの公明の光 親がなけらにゃ くれの闇

 

 

 

●●● 祭文(その2) ●●●

 宇佐地方や国東半島の北浦辺では、一般に「祭文」のことを「レソ」と呼んでいる。これは囃子言葉からの符牒と思われる。昔は、あれ・それ・これ…の「それ」について、粋筋で隠語的に「れそ」の言い回しを使うことがあった。その影響からか、「ソレソレソレーヤットヤンソレサイ」等の囃子を「ソレーヤ レソーヤ」とか「レソーヤ レソーヤ」云々と囃すのが流行し、ここからとって「レソ」と呼んだのだろう。伝搬経路としては宇佐方面から高田に入り、国東半島の北浦辺を時計回りに広まり、その終点として国見町に達している。

 ところで踊り方を見ると、高田から国見の範囲で踊られているものは手拍子の間合いがやや異なる程度で、ほとんど同じである。宇佐のものとは明らかに異なっており、高田で所作が変わったと考えるのが自然で、そこには草地踊りの影響が考えられる。節は「その1」よりも早間で、あっさりしている。こちらの方がずっと易しく唄える。

 

盆踊り唄「レソ」 国見町小熊毛(熊毛) <77・77段物>

☆今のヨヤナで受け取りましたコラサノサ(ハードッコイドッコイ)

 いけばそれよし いかねばままよ

 (ソーラエー ソーラエーヤットヤンソレサイ)

★先の音頭さんななかなかお上手コラサノサ(ハードッコイドッコイ)

 ソジャソジャ 長々ご苦労

 (ソーラエー ソーラエーヤットヤンソレサイ)

メモ:下句を全部唄う節☆と、頭3字を欠く節★を混ぜて唄う。興が乗ればイレコを挿むこともある。小熊毛の「レソ」は、踊り方は岐部と同じだが、節回しが国東町方面の「祭文」に近い。この辺りが「祭文」と「レソ」の境界であって、これより高田方面はすべて「レソ」と呼んでおり、来浦から杵築方面はすべて「祭文」である。元をたどれば同じであっても、高田からは「レソ」として、杵築からは「祭文」としてそれぞれ海岸線に沿って伝わっていったので、その終点では「祭文」と「レソ」の特徴が混じり合うようなことが起こり得たのだろう。

 

盆踊り唄「レソ」 国見町岐部(熊毛) <77段物>

☆国は関東 下野の国コラサノサ(アードッコイドッコイ)

 ヤーレソウジャナ 下野の国

 (ソーレガエヤ ソーレガエヤ トヤーソレサイ)

 

盆踊り唄「レソ」 国見町伊美(伊美) <77・77段物>

☆国は大和の海津の村にゃコラサノサ(ドスコイドスコイ)

 判兵衛さんとて有徳にゃ暮らす(ソレーヤ ソレーヤ トヤーソレサイ)

☆有徳暮らせば世に瀬がござる 春の頃にて妻持ちなさる

 

盆踊り唄「レソ」 国見町櫛海(竹田津) <77・77段物>

☆しばし間は文句とせろかコラサノサ(アードスコイドスコイ)

 ヤレ嬉しやそりゃそこに出た(ソレーヤ ソレーヤ トヤーソレサイ)

☆そこに出たやとちょいとつかまえて しばし間は文句とせろな

 

盆踊り唄「レソ」 国見町赤根(上伊美) <77段物>

☆やれさ音頭さんぬ 褒めたちゅなればコラサノサ(アードスコイドスコイ)

 オーサソウジャナ 褒めたちゅなれば

 (ソーレガヨイヤ ソーレガヨイヤ トヤーソレサイ)

☆一で声がようて二で節がよて 二で節がよて

メモ:節回しは真玉のものによく似ている。踊り方も真玉のものとほぼ同じだが、右足を蹴り出したあとの手拍子が少し違う。高田や真玉では表拍で打つのに対して国見では香々地と同様に裏拍で打っている。

 

 

 

●●● 祭文(その3) ●●●

 これは「その2」に近いが、上句末尾に「コラサノサ」がついておらず、節を短く落として止めるように唄う。これとそっくりの節が大田村や田染でも唄われており、国東半島の内陸部で流行した唄い方のようだ。

 

盆踊り唄「祭文」 安岐町両子(西武蔵) <77・75一口>

☆かえたかえたぞ祭文にゃかえた(アヨイサヨイサ)

 しばし間は祭文でやろな(ヨーイソレー ヤートヤーソレサイ)

「待った待った待った音頭さん じいさんばあさんちょいとごめん

 ここらで止めるは無理じゃけど 十七八の小娘が

 片手に花持ち線香持ち おんおんわんわん泣いていた

 どうして泣くのと訊いたれば うちの裏の竹山に

 紫竹破竹は生ゆれども 私のおそそにゃ毛が生えん

 それが悲しゅて泣いていた

☆今のイレコはよくできました(アヨイサヨイサ)

 やれさそうともよくてきました(ヨーイソラー ヤートヤーソレサイ)

メモ:昔は盛んにイレコを挿んで、きわどい文句も多かった。踊りの坪はおおらかな笑いに包まれていたとのこと。

 

 

 

●●● エッサッサ ●●●

 これは宇佐の踊りだが宇佐方面では衰退著しく、今は糸口方面と津房(安心院)に残るのみとなっている。国東半島の北浦辺でも流行したが廃れ、今なお盛んに踊られているのは国見くらいのものだろう。余興的な意味合いが強い踊りと思われるが所作が易しく、うきうきとした踊りで楽しいので定着したようだ。曲調も踊りも「レソ」や「マッカセ」の仲間で、伝わってきた時期も「マッカセ」と同時期と思われる。

 

盆踊り唄「エッサッサ」 国見町櫛海(竹田津) <77・75一口>

☆わしが若い時ゃ(アラエッサッサ) 伊美の浜へ通うた

 道の小草を ホンマニなびかせた(アーエッサッサ エッサッサ)

☆様よ様よと恋いこがれても 末は添うやら 添わぬやら

 

盆踊り唄「エッサッサ」 国見町伊美(伊美) <77・75一口>

☆踊り踊るなら(エッサッサ エッサッサ) しなよく踊れ

 しなのよいのを ホンマニ嫁にとる(ハーエッサッサ エッサッサ)

 

盆踊り唄「エッサッサ」 国見町赤根(上伊美)、国東町赤松(豊崎) <77・75一口>

☆誰もどなたも(アエッサッサ) エッサッサにゃあいた

 あいたところで切り替えましょか(アエッサッサ エッサッサ)

メモ:踊り方がたいへん易しく、揃い易い。赤根では特によく親しまれ、大きな輪が立つ。

(踊り方)

輪の内向きから

・左足を右輪の向きに踏み、両手を低く左に流しながら右足を左前にすべらす。

・右足を前に踏み、両手を低く右に流しながら左足を右前にすべらす。

・左足を輪の内向きに踏み、右足をすべらして左足に引き寄せる。

・左輪の向きに右足から3歩進み(3歩目は輪の内向きに踏む)、左足を引きせて束足にて手拍子。

これで冒頭に返る。結局、輪の内向きにて右に左に行ったり来たりするばかりである。

 

 

 

●●● マッカセ ●●●

 これも宇佐の踊りで、耶馬渓や玖珠、日田、由布院…と方々に伝わり各地で大流行、国東半島の北浦辺にも入ってきて流行した。かつては高田から国見にかけての沿岸部で広く踊られたが衰退気味で、豊後高田市街地・草地地区と国見の一部に残るのみとなっている。節回しはいろいろあるが、この地域には宇佐市街地と同様に1節3句で唄う節が伝わっている。長洲で唄われている節を陽旋にした程度の違いで、宇佐方面のものとだいたい同じ。

 

盆踊り唄「マッカセ」 国見町櫛海(竹田津) <77・77段物>

☆ヤレーそうじゃなマカセにゃ変えた(ソリャマッカセマカセ)

 しばし間は(コラショイ) しゃんきりしゃんと(ヤ オイオイ)

 アヨーイサコリャ 踊りておくれ

 (ソリャ ヤートハリハリ ヤヤノホイホイ)

☆ヤレー嬉しや踊り子も揃うた

 稲の出穂よりゃ まだよく揃うた まだよく揃うた

メモ:「エッサッサ」と同じく宇佐から高田経由で伝わってきた「流行踊り」だったのだろうが、踊り方が易しく、定着している。

 

盆踊り唄「マッカセ」 国見町伊美(伊美) <77・77・77段物>

☆金魚銀魚の鯉鮒生かす(ソラマッカセマカセ)

 まずは朝日の(コラセ) 御宝物は(インヤオイ インヤオイ)

 金の唐猫 まず一つがい(ソレヤートハリ ヤヤノオイ)

メモ:昭和22年刊行『伊美郷土誌』より。

 

盆踊り唄「マッカセ」 国見町東中(伊美) <77・77段物>

☆金魚銀魚の鯉鮒生かす(ソーリャマッカセマカセ)

 まずは朝日の(コラショイ) 御宝物は(イヤホーイホイ)

 アヨーイサコリャ 御宝物は

 (ソリャー ヤットハーリハリ ヤヤノホーイホイ)

 

 

 

●●● ヤッテンサン ●●●

 かつて速見・東国東で流行した踊りで、今でも安岐の一部ではよく踊られている。武蔵の一部にも残っているが、国東町では全く廃絶している。節が易しく、音頭と囃子の掛け合いが賑やかだがやや単調な印象を受ける。踊りの方も早歩きで進んでは手拍子をするばかりで、飽きやすい。ごく簡単なので昔から子供の喜ぶ踊りである。手数が少なく誰でも覚えられるし、ただ前に行くばかりで踊りが揃い易い。

 

盆踊り唄「ヤッテンサン」 安岐町大添(南安岐) <77段物>

☆かえた(セーロ)

 かえたよヤッテンサンにゃかえた(ヤッテンサンノ)

☆踊る皆さんお手振りなおせ

メモ:節や踊りは杵築のものと同じで、たった4呼間で所作が一巡する上に節回しもごく単純なので、やや単調な印象があり長く踊っていると飽きる。

(踊り方)

右回りの輪の向きから

・右足から3歩進んで両手を右に捨て、左足に踏み戻す。

・右足を左足に引き寄せて手拍子、右足を前に出す。

・左足を右足に引き寄せて手拍子、左足を前に出す。

これで最初に返る。

 

盆踊り唄「ヤッテンサン」 安岐町西本(南安岐) <77段物>

☆しばし(ヤッサッサ)

 間はヤッテンサンでせろな(ヤーレショドッコイショ)

☆一つ手を振りゃ千部の供養

 

盆踊り唄「ヤッテンサン」 武蔵町糸原(武蔵) <77段物>

☆国は(セーロ) どこよと尋ねてきけば(ヤーレサドッコイナ)

メモ:武蔵町のほとんどの集落では盆踊りの最終に踊っていたが、今は省略するところが増えている。踊り方は安岐と全く同じで、節もほぼ同じ。

 

 

 

●●● おけさ節 ●●●

 武蔵町の一部で局地的に踊られているもので、一連の盆口説の一つとして伝わっている。「佐渡おけさ」と似た節だがそれなりに変化しており、伴奏は太鼓のみ。盆踊りが盛んだった頃に旧来の踊りだけでは飽き足らず、その当時、流行小唄として口ずさまれていた「おけさ節」を取り入れたのが定着したものと思われる。そのためレコード等を利用してよその踊り(炭坑節等)を踊っているのとは違い、一応、地域性のある盆踊り唄とみてよいだろう。

 県内では、上浦町で踊られる「ごうし音頭」や中津で踊られた「ドッコイサッサ」等の「江州音頭」の変形や、大野地方で広く踊られる「伊勢音頭」など、他県由来の民謡・俚謡や俗謡が節回し・踊り方などをかえつつ、地元の一連の盆踊り唄の中に根付いている例が多く見られる。その中でも「おけさ」が地踊りになっているのは、武蔵町だけと思われる。

 

盆踊り唄「おけさ」 武蔵町糸原(武蔵) <77・75一口>

☆ハー佐渡へ 佐渡へと草木もなびくヨ(ハヨイトコラ ドッコイナ)

 佐渡はよいかえ すみよいか(ハヨイトコラ ドッコイナ)

メモ:おけさ踊りの名残をわずかに残しながらも、ずいぶん簡略化された踊り方である。

 

 

 

●●● 糸引き ●●●

 今は全く踊られておらず音源もなく、節がわからないが、おそらく作業唄の転用だろう。下の頭3字を伏せて囃子が取っているあたりを見るに、宇佐方面からの伝搬かもしれない。

 

盆踊り唄「糸引き踊り」 国見町伊美(伊美) <77・45一口>

☆何が因果でヨ 糸引きを習うたヨ(アラ気を兼ね苦労するよ)

メモ:昭和22年刊行『伊美郷土誌』より。

 

 

 

●●● 姫島の盆踊り唄 ●●●

 姫島にのみ伝わる節で、すべての踊りに共通の口説である。県内に同種の唄が見られないが、臼杵方面の漁村で唄われている盆口説に、上句の節が若干似ているようにも感じられる。おそらくもともとは瀬戸内一円で行われた長音頭の類であって、それが島の中で独自に工夫されて今の節になったのだろう。

 

盆踊り唄 姫島村(姫島) <47・75一口>

☆唄えと責めかけられた(ノホホーヤホイ ソレワサ)

 ア唄いかねたよこの座敷(この座敷)

 ノホホーヤホイ ソレワサ(ア唄いかねたよこの座敷)

☆座敷はめでたい座敷 鶴と亀とが舞い遊ぶ

メモ:姫島の盆踊りには40種類以上の演目があるが、その中で古いのは「狐踊り」「アヤ踊り」「銭太鼓」の3種類、少し時代がさがって「猿丸太夫」、この4種類が一応、旧来のものとされているようだ。それ以外に新作踊りとして毎年作られたものの中から定着したのは「田植え踊り」「お夏清十郎踊り」「くろんぼ踊り」「タヌキ踊り」「三番叟」など枚挙にいとまがなく、どれも所作がよく工夫されているばかりかその演目に合った扮装も賑やかである。音頭は各節の頭3字を伏せて唄い出し、下5字の語句の一部をとって尻取りのように唄い継いでいくが特徴。各節末尾と次の節の頭が一部が重なっており、たとえば二番音頭が「この座敷」と唄い終わらないうちに一番音頭が「座敷は…」と唄いはじめるのがおもしろい。