佐伯市の盆踊り唄 3

●●● 祭文(その1) ●●●

 「祭文」は名実ともに大分県を代表する盆踊り唄だが、南海部地方においては添え物的な扱いである。字脚が75調になっており汎用性に乏しいことも遠因だろう。特に、ここに集めた「その1」のグループは、段物を口説く際、77調の中に75調が混じる箇所で地の音頭の入れ節として唄うことが多く、単独で「祭文」の節ばかりを繰り返していくことは少ない。例外としては、和讃であったり「おすみ」等といった75調の段物を口説く場合のみ、これを単独で長く唄うことがある。いずれにせよ踊り自体は地の音頭からの連続であって、この音頭固有の踊りがあるわけではない。

 一般に知られている「鶴崎踊り」のそれとは全く節が違うので、知らない人が聞いたら「祭文」だとわからないかもしれない。しかし節を分析してみると、所謂「臼杵踊り」の「祭文」をずっとのろまにして、節をこねまわしたものだとわかる。つまり海部地方の沿岸部に伝わる「祭文」の系譜をなすものであって、臼杵から津久見、上浦…と伝わっていったと推測できる。

 

盆踊り唄「祭文」 上浦町浪太(東上浦) <75・75段物>

☆アーこんなエー アーことが あろうとエー(ソレーソレ)

 アー正月二日の 初夢に(ヤーレ ヨーヤセー ヨーヤセー)

 

盆踊り唄「祭文」 上浦町浅海井(東上浦) <和讃>

☆アー一つやエー 二つ アー三つや四つ(アーヨイヤー)

 アー十にもならぬ幼子が(ヤーレ ヨーヤセー ヨーヤセー)

☆賽の 河原に 集まりて ただ父恋し母恋し

 

盆踊り唄「野辺和讃」 蒲江町畑野浦(上入津) <和讃>

☆ソレ 一つや二つや三つや四つ

 十にも足らぬ幼子が(エーイエーイ エーイヤナー)

メモ:音頭の節は上浦とほぼ同じだが囃子は異なり、木立の節(その2のグループ)の囃子と共通である。

 

盆踊り唄「流し音頭」 蒲江町楠本浦(上入津) <和讃>

☆一つや二つや三つや四つ(ヨイヨイ)

 十より下の幼子が(ヨーイヨーイ ヨーイヤナ)

☆ひとたびシャバに生まれきて 綾や錦を着飾りて

 

 

 

●●● 祭文(その2) ●●●

 こちらは木立・畑野浦周辺に限られ、局地的な流行のようだ。「その1」よりも早間で、1節3句になっており節回しが変化に富んでいる。これの中句を抜けば「その1」にかなり近くなる。結局は「佐伯節」と「海部節」の関係性と同じことであって、「その1」も「その2」も広義で捉えれば同じものだと言えるだろう。

 

盆踊り唄「祭文」 佐伯市木立(木立)、蒲江町屋形島(蒲江) <75・75・75段物>

☆サドー 東西ヨー 南北おだやかに(ヨイヨイ) しずもりヨー 給えば

 尋常にヨー 所は都の大阪の(ヨーイヨーイ ヨーイヤナー)

☆京屋の娘におすみとて 年は三六十八で いま振袖の丸額

メモ:木立の盆口説は、「おすみ口説」など75調の繰り返しの段物の場合には「祭文」の節ばかりを繰り返して唄い、「お為半蔵」など77調に75調がときどき入る段物の場合には「長音頭」を地の音頭にして、「祭文」を入れ節にして唄う。今は「長音頭」は唄わず、「祭文」の繰り返しばかり。踊りは「長音頭」と同じく手踊り、「一つ拍子(扇子)」、「三つ拍子(扇子)」で、この音頭に固有の踊りがあるわけではない。

 

盆踊り唄「祭文」 蒲江町畑野浦・楠本浦(上入津) <75・75・75段物>

☆一つや二つや三つや四つ(ヨイヨイ) 十より下の幼子が

 一度娑婆に生まれ来て(ヨーイヨーイ ヨーイヤナー)

メモ:木立と畑野浦を隔てる入津峠は、新道が拓ける前は今のトンネルのはるか上にある旧トンネルを通っていた。その道はとても険しく、バスで片道1時間もかかったと聞く。それでも畑野浦は陸路で佐伯から蒲江に入る際の玄関口であり、木立との交流も盛んであったと思われる。それで、木立で行われている1節3句の「祭文」が畑野浦にも入ってきたのだろう。

 

 

 

●●● 祭文(その3) ●●●

 これは堅田踊りの「さえもん」で、県内に数ある「祭文」のバリエーションのどれにも類似せず、あまりに節が違う。或いは全く無関係かとも考えたが、唄囃子の末尾につく「ソレエーソレエー」がおそらく「祭文」の名残ではないかと思い、一応同系統として見ることにした。

 一連の堅田踊りの唄の中ではずいぶん田舎風の感じがするが、その実、とても難しい唄である。音引きばかりで生み字を多用し、しかも文節に関係のないところに「アラドッコイセ」の囃子が割って入るうえに字脚が一定でないので、その間合いを間違いやすい。特に難しいのは下句の箇所で、これでもかというくらいに引っ張り、こね回して唄う。この唄は三味線の引き方が音頭の節をなぞるような感じなのでまだどうにか拍子をとれるが、三味線が入らなければ正しい間合いで唄うのは困難を極めるだろう。しかも節の一つひとつに踊りの所作が割り当てられており、音頭がただの一節、また三味線がただの一撥間違えばたちまち踊りが立ち往生するような始末なので、節の巧拙はまだしも長短(間合い)だけは絶対に間違えられない。音頭・三味線が息を揃えて演奏するには、よほどの練習が必要と思われる。

 

盆踊り唄「佐衛門」 佐伯市宇山・汐月・江頭(下堅田)、上城(上堅田) <小唄、二上り>

☆笛(アラドッコイセ) の音による(マダセー) 秋の鹿

 妻(アラドッコイセ) ゆえ身をば焦がすなり

 「ハーそこ言うちゃさえもんな たまりゃせぬ ソレエー ソレエー モットモ

☆小石 小川の 鵜の鳥見やれ 鮎 をくわえて瀬を登る

 「そこ言うちゃさえもんな たまりゃせぬ

☆恋 しゅござるなら 訪ねて来てみよ 信太 の森に住むではないか

 「そこ言うちゃさえもんな たまりゃせぬ

メモ:踊り方が難しく、宇山や江頭では省略することが多くなっている。

(踊り方)

右回りの輪

・右、左と流しつつ、右足、左足と裏拍で踏んで輪の内向きになる。

・両手をフセで体前に引き寄せて軽く握りながら、右足を後ろに引いて踏む。

A<ここから>

1) 右手で左の袂をとって左手を左上に上げつつ左足を裏拍で左、左手を軽く握りながら右足・左足で左に進む。

・両手をフセで体前に引き寄せ軽くにぎりながら、右足を後ろに引いて踏み、すぐ左足に踏み戻す。

1) 左手で右の袂をとって右手を右上に上げつつ裏拍で右足を右、右手を軽く握りながら左足・右足で右に進む。

2~6) 反対、反対…で左右交互に行き来する。

・右に巻くように流しながら右足を裏拍で右、左足・右足で右に進む。

・左に流しながら左足を後ろに引いてさがりつつ左に回って右回りの輪の向きになり、足はそのままで大きく右に流してきまる。

1~4) 左、右、左と流しつつ左足から裏拍で3歩前に進み、左手で右の袖をとり右手フセで引き上げつつ裏拍で右足に踏み戻す。

1~4) 左手をアケで振り上げて手首を返し、下ろしつつ裏拍で左足を踏む。以下交互に右、左、右。最後の右のときは前に踏む。

・両手を左下に振り下ろして両袖をとり、裏拍で左足を前から引き戻して踏み、早間で右足から2歩進む。

1~8) 両手を低く右から交互に振りながら、右足から交互に裏拍で8歩、小さく前に進む。

・袂をとったまま両手を右下に下ろすと同時にサッと右足を引き戻して踏む。両手を揃えて左後ろに3回振り下ろしながら左足から3歩前に進む。

B<ここまで>

・両手を右に巻いて流しながら右足を裏拍で右後ろ、左足・右足で輪の内向きになりつつ右に進む。

・両手をフセで体前引き寄せ軽くにぎりながら、右足を後ろ引いて踏み、すぐ左足に踏み戻す。

・A~Bを繰り返す。

これで最初に返る。結局1節の間に「A~B」を2回踊ることになる。

 

盆踊り唄「祭文」 佐伯市下城(上堅田) <77・75小唄、二上り>

☆笛(アラドッコイセ) の音による(マダセー) 秋の鹿

 妻(アラドッコイセ) ゆえ身をば焦がすなり

 「ハーそこ言うちゃたまらぬ そこ残せ ソレエー ソレエー モットモ

☆鮎は 瀬に住む 鳥ゃ木にとまる 人 は情けの下に住む

 「そこ言うちゃたまらぬ そこ残せ

☆恋 しゅござらば 訪ねて来てみよ 信太 の森に森に住むではないかいな

 「そこ言うちゃたまらぬ そこ残せ

 

 

 

●●● 和讃 ●●●

 供養踊りの開始にあたって、またはハネ前に行われるもので、狭義の「盆踊り唄」には該当しないがここに紹介する。和讃の2句ごとに「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀」を挿む、音引きの多い難しい節である。この形態の採集例は少ないが、「祭文」の節で和讃を口説く例は方々で見られる。それは「祭文」の項で紹介している。

 

盆踊り唄「余念仏」 上浦町浅海井(東上浦) <和讃>

☆南無阿弥陀仏(南無阿弥陀仏 南無阿弥陀)

 これはこの世の(ことならず 死出の山路の裾野なる)

☆南無阿弥陀仏(南無阿弥陀仏 南無阿弥陀)

 賽の河原の(物語 聞くにつけても哀れなり)

メモ:供養踊りの開始にあたって唱える。踊りは伴わない。

 

盆踊り唄「地蔵和讃」 鶴見町羽出浦(東中浦) <和讃>

☆南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀

 帰命頂礼地蔵和讃 一つや二つや三つや四つ

☆南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀

 七つに足らぬ幼子が 一度娑婆に生まれ来て

☆南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀

 錦や綾を着飾りて 死して冥土に行くときは

メモ:供養踊りの最終に全員で唱え、踊りは伴わない。リンや鉦ではなく、わりと早間の太鼓に合わせて唱える。音引きの多い難しい節で、最後まで唱えるのに30分近くかかる。

 

盆踊り唄「念仏踊り」 本匠村山部(因尾) <和讃>

☆そもそも都の傍らに ルイシと申せし女人あり

 南無阿弥陀 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀

☆死するという字があらばこそ 呼べば我が家に在りしたが

 南無阿弥陀 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀

メモ:「道掛け」の際に唱えていたが。廃絶している。「道掛け」の詳細は「地域別の特徴・伝承状況」を参照してください。

 

 

 

●●● サンサ節(その1) ●●●

 この唄は北海部・南海部・大野・直入地方に広く伝わっており、盆踊りの最終に「切音頭」として唄われることが多い。瀬戸内海沿岸に伝わる節で、「きそん」とか「サンサ節」として盆口説はもとより、作業唄としても唄われていた。いずれも近世調の文句で節回しの骨格は同じだが、詩形から数種類に分類してみた。

 まず「その1」は唄い出しで上句がひっくり返り、その半ばに唄囃子を挿む詩形のものである。これはずいぶん風変わりな印象を受けるが、県内に伝わる「サンサ節」の中では最も一般的である。

 

盆踊り唄「切音頭」 佐伯市臼坪(佐伯) <77・75一口>

☆ヤレー宮島はナー ウーンヨエーンエー エーイソレ宮島はナ(ヨイヨイ)

 安芸のエンエー(ヨーイヨーイサーンサ)

 「アーモさんさも今晩どなたも大きなご苦労じゃとな

 アー廻れば七里ナ ハ浦が ハ七浦 アー七えべす ハレバヨー

 (ヨーイヨーイサーンサ)

★ヤレー三度笠ナー ウーンヨエーンエー エーイソレ三度笠ナ(ヨイヨイ)

 様のエンエー(ヨーイヨーイサーンサ)

 様の三度笠 エーイコーノサーンサ(ヨーイヨーイサーンサ)

 「アーモさんさも今晩どなたも大きなご苦労じゃとな

 アー後から見ればナ ハしなよう ハござる アー笠の内 ハレバヨー

 (ヨーイヨーイサーンサ)

メモ:☆印の節と★印の節は基本的に同じだが、★の方が返しが一つ多い。

 

盆踊り唄「切音頭」 上浦町津井(東上浦) <77・75一口>

☆ヤレー切りましょうぞいエーイエー アーヤレここで切りましょうぞな(エイエー)

 ここでヨー(アラエーイエーイ ヨーヤーナー)

 ここでちゃんと切りましょ エンヤコーノサーンサ(アラエーイエーイサーンサ)

 「ヤレ太鼓も踊りも みんなよく揃うたぞナ

 お月を見やれな(ヤーレ お月ゃ山端でわしゃここに ヤーレコラセー)

☆宮島のエーイエー アーヤレ宮島はナー(エイエー)

 安芸の宮島はエー(アラエーイエーイ ヨーヤーナー)

 安芸の宮島はサマ エンヤコーノサーンサ(アラエーイエーイサーンサ)

 「ヤレ女子の木登り 危ないものぞえ

 まわりが七里ぞな(ヤーレ 浦が七浦 七恵比寿 ヤーレコラセー)

メモ:盆踊りのハネ前に地の音頭からこの唄に移行するが、踊り方はもとの踊りのまま続ける。

 

盆踊り唄「切音頭」 上浦町浅海井(東上浦) <77・75一口>

☆ヤレー五万石ヒンエーイエー ヤーレ五万石ナ(エイエー)

 臼杵ゃヨーナー(アラエーイエーイ ヨーヤーセー)

 アー臼杵五万石じゃな エーンヤコーノサーンサ(アラエーイエーイサーンサ)

 「ヤレ女子の木登りゃ危ないものだよナ

 ヤレ大豆にゃ切れて(ヤーレ 狭い臼杵に 豆詮議ヤーレコラセー)

メモ:盆踊りのハネ前に地の音頭からこの唄に移行するが、踊り方はもとの踊りのまま続ける。

 

盆踊り唄「切音頭」 蒲江町西野浦(下入津) <77・75一口>

☆走る船エーイエーイエーホー(ソレソレ)

 走る船ナー 沖ンオー(ソコジャ) ヨイヨイヨイヤセー

 走る船 エーイヤコーノサーンサー(エーンエーンサーンサ)

 「サンサのまことにナ

 ありゃどこの船 ソーリャ あれは紀州浦のみかん船 ヤレコリャセー

 

盆踊り唄「切音頭」 蒲江町深島・蒲江浦(蒲江) <77・75一口>

☆ヤレ五万石ヨーナ ヤレ五万石ナー

 臼杵ゃエー ソリャエイエイサンサ

 アー五万石 エイヤコノサンサ(エイエイサンサ)

 「ヨーサマまことにナ

 臼杵の城は ソリャ根から生えたか浮き城か ハレバエー

メモ:盆踊りの中入れ前・ハネ前に地の音頭からこの唄に移行するが、踊り方はもとの踊りのまま続ける。

 

盆踊り唄「切音頭」 蒲江町猪串浦・小蒲江(蒲江) <77・75一口>

☆ヤレー切りましょうかヨーエ 切りましょうかナーンウーン

 ここでヨーエ(ハラエーイエーイサーンサ)

 ここで切りましょうか エーイヤコーノサーンサ(ソラエーイエーイサーンサ)

 「ヤレ さんさマその声よう揃うたろな

 ア向かいで切ろうかソーレ ア向かい回れば 三里のまわり(ハーレバエー)

☆五万石 五万石 臼杵 臼杵五万石

 「さんさその声よう揃うたろな

 臼杵の城は 地から生えたか浮き城か

☆暗いのに 暗いのに 沖の 沖の暗いのに

 「さんさその声よう揃うたろな

 白帆が見える あれは紀州浦のみかん船

☆宮島は 宮島は 安芸の 安芸の宮島は

 「さんさその声よう揃うたろな

 まわれば七里 浦が七浦 七えびす

メモ:節を長く引っ張っており、難しい。

 

盆踊り唄「切音頭」 鶴見町羽出浦(東中浦) <77・75一口>

☆イエー切りましょか エイコノサンサ

 「サンサを揃えて本調子 アリャエイコノサンサ ヨーサンサ

 しっかり切りょ 若の松様がナー 枝も栄えて葉もしげる ヤレコノエー

 

 

 

●●● サンサ節(その2) ●●●

 唄い出しで上句がひっくり返り、下句の半ばに唄囃子を挿む。

 

盆踊り唄「切音頭」 鶴見町沖松浦(西中浦) <77・75一口>

☆エーイエーイエーイヤナ エイエーイ宮島ナ(ジャロージャロ)

 安芸のエー(エーイエーイエーイヤナ) 宮島まわれば七里ナ(ジャロージャロ)

 浦がエー(エーイエーイエーイヤナ) 七浦 ヤレコノサーンサ

 「サンサが揃うてその調子エーナ

 七えびす ヤレコノセー

メモ:上浦のものよりもテンポが速く、あっさりとした節で唄い易い。盆踊りのハネ前に地の音頭からこの唄に移行するが、踊り方はもとの踊りのまま続ける。

 

盆踊り唄「切音頭」 米水津村色利浦(米水津) <77・75一口>

☆エーイ エーイ エーイエ 秋の宮島ナ(ハヨイヨイ)

 安芸の宮島 まわれば七里(ハヨイヨイ)

 浦がエー エンヤエーイエーイ サーンサ

 「ソレさんさをはりあげて ソラ見事に エーンヤコーリャ サンサ

 浦が七浦 エンヤコリャ 七えびす ハーヨイヨイ

メモ:切音頭に移る前に、一旦踊りの輪を崩す。初盆家庭ごとに傘鉾(長い棹の先に蝙蝠傘をつけて故人の着物をかけ、遺品をつりさげたりしたもの)を出す。切音頭が始まると、傘鉾のぐるりにさげた線香に火をつけ、めいめいの傘鉾を先頭に、位牌・遺影を持った人、遺族、隣保班の人と続いて、坪を3周まわる。踊りがはねたら寄り道をせずに急いで家に帰り、お縁から仏壇の方へ傘鉾を捧げ入れ、着物を外す。

 

盆踊り唄「切音頭」 米水津村宮野浦(米水津) <77・75一口>

☆エー 咲いた桜になぜ駒つなぐ ヨイヨイ

 駒が勇めば ヤレコラセー オヤ エーイエーイエーイヤナー

 「イヤさんさを ヤートヤー つけたぞ

 駒が勇めばヤーレ 花が散る ヤレコラセー

メモ:色利浦と同様に、傘鉾を出す。宮野浦では傘鉾に提灯をさげる。

 

 

 

●●● サンサ節(その3) ●●●

 唄い出しで上句がひっくり返り、唄囃子は伴わない。

 

盆踊り唄「出し節」 蒲江町丸市尾浦(名護屋) <77・75一口>

☆ヤレ引いてきたがなヨー サヨンヨー 引いてきたがな鰯ゅヨー

 鰯ゅ引いてきたが ほんに塩がないサ 塩は大阪 アレ塩釜に ハレバエー

メモ:供養踊りの開始や音頭代わりに唄い、そのまま地の音頭に移行する。

 

 

 

●●● サンサ節(その4) ●●●

 唄い出しがひっくり返っているも、その箇所が文句の字脚に干渉していない。入れ節を挿み、その後から文句が始まる形である。変則的な詩形で、特に弥生町のものは複雑を極める。

 

盆踊り唄「切音頭」 弥生町井崎(上野) <77・75一口>

☆ヤレ切りましょうや ノホヨーホヨエ 切りましょうやノー

 ここで切ろうどちゃ エンヤガコーロノヨーサンサ

 「さんさが嘘でもないこと 心から真実実ぞいな

 アンアレーどうで高いのは

 「火の見櫓か富士山か 餅屋の娘の杵音高い ちぎり丸めてちょいと投げた

 高崎山かナ フーナーンアーエー 女郎町ゃ目の下に ハーリワエー

メモ:1節に2種類の入れ節が混じっている。前半の入れ節「さんさが嘘でもないこと…」は「その1」や「その2」のものと同種で、後半の入れ節「火の見櫓か…」は地口に近く、本調子甚句の字余りの類である。結局、唄い出しの「切りましょうや~ここで切ろうどちゃ」は文句の字脚に干渉しておらず、核になるのは「どうで高いのは高崎山か (3字欠)女郎町ゃ目の下に」である。

 

盆踊り唄「切音頭」 宇目町重岡(重岡) <77・75一口>

☆ソレ切りましょうなヨー ヨーヨイソーレーヨ 切りましょうな(アヨーイヨイ)

 「上で高いのを申すなら 一で英彦山か(ソレ)

  餅屋の娘の杵だこな 下で高いを申すなら(ソレ) 下で高いは尺間山

 アーさても見事な(オヤ) 臼杵様の城はナ

 地から生えたな 浮き城な ハレワイサーノサー

メモ:こちらの入れ節は近隣に広く行われる「どんさく」の節になっている。やはり唄い出しの「切りましょうな~」は文句の字脚に干渉せず、核にあるのは「さても見事な臼杵の城は、地から生えたな浮き城な」である。

 

 

 

●●● サンサ節(その5) ●●●

 唄い出しがひっくり返っておらず、上句の半ばに唄囃子を挿む。

 

盆踊り唄「切音頭」 蒲江町河内浦(蒲江) <77・75一口>

☆ヤレここで切ります

 ヤレ切りますナー ここでヨー ナーンヨーイヤヨイヤナ

 「アラなんでもしゃんと切る さんさを

 破竹の竹を ソレー 元は尺八半ば笛

 

盆踊り唄「切音頭」 蒲江町竹野浦(下入津) <77・75一口>

☆アーここで切りましょか エイヤコーノーサーンサ(エーイエーイサーンサ)

 「サンサオ まことにゃ(ホイ)

 臼杵の城じゃソーラ(松から生えた ホイ あの浮城じゃ ハーレバエーノエイ)

 

 

 

●●● サンサ節(その6) ●●●

 唄い出しがひっくり返っておらず、唄囃子を伴わない。最もシンプルで、おそらくこれが元々の節なのだろう。

 

盆踊り唄「切音頭」 蒲江町畑野浦(上入津) <77・75一口>

☆ヤレ 沖の暗いのに イヤコノサンサ 白帆が見ゆる ソーレ

 あれは紀の国みかん船 ハンレバエー

メモ:切音頭にかかると初盆の家の人が短冊をさげた竹を持ち、親類縁者がそのあとに着いてまわる。

 

盆踊り唄「祝い音頭」 蒲江町屋形島(蒲江)、丸市尾浦(名護屋) <77・75一口>

☆祝いめでたの若松様よサー 枝も ホイ 栄えて アー根も葉も茂る

 アーレバエー サーンヨーンヨーンヨーイヤナー

 

盆踊り唄「切音頭」 蒲江町丸市尾浦(名護屋) <77・75一口>

☆ここでしゃんと切れさんさの松のサエ 枝も栄えて葉もしげる ハレバエー

メモ:中入れ前・ハネ前に地の音頭に接続して唄う。踊り方はそのまま。

 

 

 

●●● マッカセ ●●●

 「マッカセ」は宇佐市が本場で、国東半島の北浦辺、下毛地方、玖珠・日田地方と大分県の北部から西部にかけて広範囲に伝承されている。大分市以南の地域からは一切採集されていないのに、『蒲江町盆踊口説集』には屋形島の項に「精霊送り」の呼称で記載がある。縁故関係等で伝わったと思われ、「精霊送り」の名からは、長洲の盆行事が思い浮かぶ。

 

盆踊り唄「精霊送り」 蒲江町屋形島(蒲江) <77・77・77段物>

☆国は奥州仙台のこと(ソレマッカセマカセ) 牡丹長者の(コラショイ)

 由来をきけば(ヤホーイコリャ) 四方四面に蔵建て並べ

 (ソレエー ヤートハリサテ ヤートホイ)

 

 

 

●●● 三重節 ●●●

 「三重節」は「三勝」の変調で、その名の通り三重町が本場である。三重町では「由来」と呼ばれており、近隣の野津町、臼杵市、犬飼町、千歳村等で広く「三重節」として親しまれている。南海部地方からの採集は屋形島に限られる。『蒲江町盆踊口説集』の屋形島の項に「二孝女踊り」の呼称で記載があり、やはり縁故関係等で伝わったと思われる。「二孝女踊り」の名はおつゆ・おときの「二孝女口説」からきており、これは川登を舞台としたので、野津町で非常にもてはやされた口説である。

 

盆踊り唄「二孝女踊り」 蒲江町屋形島(蒲江) <77・77段物>

☆人は一代 名は末代よ(ドッコイセー ヨーイヤセー)

 エー 虎は死しても皮をば残す(サンヤートセイセイ ヤレトコセー)

 

 

 

●●● 江州音頭 ●●●

 上浦町から佐伯市街にかけて「ごうし音頭」の名で伝承されている音頭で、これは江州音頭の転訛である。しかしその節は、江州音頭というより河内音頭「ヤンレ節」に近い。いずれにせよ関西で流行した音頭が当地に根付き、節回しが変化したものである。南海部の浦辺では昔、若い娘さんが関西の紡績工場に出稼ぎに行くことが多かったそうだ。おそらくその関係で、関西で流行していた音頭を覚えて持ち帰ったと思われる。これと同種の音頭が、大分市白木や中津市大新田などでも一連の盆口説のうちの一曲として残っている。

 思えば、県内には堅田踊りはもとより鶴崎踊り、津鮎踊り、山路踊りなど都会から入ってきたと思われる唄・踊りがずいぶんたくさん残っている。それらよりも時代は下がるがこの「ごうし音頭」もそうだし、座興唄としても「こつこつ節」「さのさ」「わが恋」「磯節」など都会の端唄や流行小唄に由来するものが多い。また作業唄や白熊唄としても「ドッコイセ節」「よしよし節」「兵庫音頭」「おやまかちゃんりん節」「なぜまま節」「高い山」「出雲節」の転用など枚挙にいとまがない。また「紅屋の娘」「青い芒」「三朝小唄」「関門小唄」などといった、昭和初期にレコードで流行した新民謡・新小唄の類の替え唄を郷土唱歌として唄った例も多い。県下全域ではやり唄を非常に好み、それなりにかみ砕いてふるさとの唄として取り入れてきた経緯が認められる。それは、都会の唄どころか近隣の土地で唄われる唄、縁故関係で聞き覚えたをも含む。県内の盆踊りがバリエーション豊かなのは、こうした土壌があってのことなのだろう。

 

盆踊り唄「ごうし音頭」 上浦町浅海井(東上浦) <77・77・77・77段物>

☆アー 今度豊前の小倉の町に(アラドッコイサイサイ)

 染屋九兵衛という人ござる もとは栄華で暮らしもしたが

 今は世に落ち憐れな者よ(ソリャー ヨイトヨーヤマカ ドッコイサーノセー)

メモ:浅海井では旧来の盆口説と区別している。二十三夜踊りで旧来の踊りのはねた後に余興的に踊られる。踊り方は本場のものとは全く違い、後ろに後ろにさがっていくおもしろい踊りである。簡単なうちわ踊りなので誰にでも踊れるし、節回しが軽やかで人気が高い。

 

 

 

●●● 与勘兵衛(その1) ●●●

 「与勘兵衛」は堅田踊りを代表する唄の一つで、堅田踊りの伝わる集落のほとんどに伝承されている(集落によって節や踊り方が異なる)。節が平易で浮かれた調子がおもしろいし、踊りも手数は多いが難しい所作がないので、今なお盛んに踊られている。元唄を探そうと思って『俗曲全集』をはじめ、古い唄本等をいろいろ見たのだが、類似する唄が見当たらなかった。おそらく上方で唄われた戯れ唄なのだろうがごく短期間の流行で、流行小唄としての採集からは漏れたのだろう。「よしよし節」である旨を何かの文献で読んだ覚えがあるが、節が全く異なる。おそらく波越の「十二梯子」が「よしよし節」であるのを、「よかんべえ」の響きから取り違えてしまったのだろう。三者の節を把握していれば、この説は明らかに誤りであるとわかる。

 ところで、今は一列に「与勘兵衛坊主が…」を首句とし、各節の末尾を「あら実、与勘兵衛」と結んでいる。しかし、結びの「よかんべえ」は、本来、「野干平」あるいは「良かんべえ」だったのではないかと推察される。首句では、「与勘兵衛坊主」なる人物が二人現れたが、一人は本物の「与勘兵衛」で、もう一人は「信太の森に住むではないかいな」と唄われている。これは「葛葉の子別れ」を引くことで、もう一人は狐の化身だと言いたいのだとわかる。そうであれば末尾は「野干平(やかんべい)」であろう。この文句においては、結局「狐」の異称である「野干平」が主であって、狐が化けた人の名を野干平に響きの似た「与勘兵衛」としたのではあるまいか。「葛葉の子別れ」の場面をさした「真実保名さんに…」の文句も唄われており、おそらく「与勘兵衛坊主が…」の文句はその前唄的な位置づけで、この二節がこの唄の本筋なのだろう。そして「今年は豊年満作じゃ…」云々ほかの文句は後補であって、その結びは「良かんべえ」の意と思われる。「よかんべえ」の響きに「与勘兵衛」「良かんべえ」「野干平」と三通りの意味を持たせているところがこの唄のおもしろいところである。

 数種類ある節の中でも「その1」は比較的のんびりしたテンポで、弾まないリズムで唄われる。レコード化された際にこちらの節が採用されたこともあり、比較的よく知られている。わりと唄い易い簡単な節だが、陽旋の中で首句でいうところの「森に」の「に」のみ陽旋から外しており、それなりに洗練された印象を受ける。各節ごとに「一反畑のぼうぶらが…」等の長囃子がつくのが特徴。

 

盆踊り唄「与勘兵衛」 佐伯市宇山・江頭・汐月・津志河内・小島・泥谷(下堅田)、長谷(上堅田)、蒲江屋形島(蒲江) <小唄、二上り>

☆与勘兵衛坊主が二人出た(ソコソコ) 一人は確かな与勘兵衛じゃ

 一人ゃしんしん信太の 森に住むではないかいな アラ実 与勘兵衛

 「一反畑のぼうぶらが コリャ なる道ゃ知らずに這い歩く

☆今年は豊年満作じゃ 庄屋もめぼしも百姓も

 猫もねんねんねずみも 猫もねずみもすりこのバチかいよ

 「一反畑のサヤ豆が ひとサヤ走れば皆走る

☆木立の庄屋さんは何が好き 恥ずかしながらも唐芋好き

 今朝もねんねん寝起きから 赤い唐芋の焼き冷まし

 「お前家持ちわしゃ子持ち 下から持ちゃぐるもぐら餅

☆真実保名さんに添いたくば 榊の髷と偽りて

 七日なんなん七夜さ 怨み葛の葉と寝たならば

 「やっとこやしまの ほしかの晩 ほしかの晩なら宵から来い

☆私とお前さんの若い時ゃ 女郎か卵かと言われたが

 今じゃとんとん年が寄って 寺の過去帳にしっかとつけられた

 「一反畑のぼうぶらが なる道ゃ知らいで這いまわる

☆因尾の庄屋さんの町戻り 脇差ゃ割れたや 割れ豆腐

 それをつんつんつづらで それをつづらでしっかと巻きとめた

 「納戸に小屋かけ…

メモ:堅田北部(宇山・江頭・汐月)と大字長谷の各集落が全く同じ踊り方で、津志河・小島も堅田北部とほぼ同じだが、泥谷は異なる(基本的な足運びは似通っており同種ではあるが)。扇子踊りだが、扇子は始終開きっぱなしだし特別難しい所作もなく、堅田踊りの中では簡単な方である。

(踊り方)

A 堅田北部・長谷 右回りの輪(右手に開いた扇子)

「ソコソコ」 左足1歩前、右手を前にかざし上げて扇子を返す。

「与勘兵衛坊主が」 その場で右足に体重を戻し、(手の左右を入れ替えるように右手を下ろしつつ左手を前に突き出すように上げ、左手を下ろしつつ右手を前にかざし上げて扇子を返す)を2回。

「一人出た」 右手を下ろしつつ左手やや前に出し左足に加重、扇子フセで右手を左前に下ろして右足を左足の前に踏み込みすぐ左足に踏み戻し、右足を後ろに引き加重、両手フセの作円で上げ決まる。

「ソコソコ」 両手を下ろして左足に加重。

「一人は」 扇子の面を立てて右手を左に振り、左側にて扇子を軽く打ちつつ右足を左足の前に踏み込んですぐ左足に踏み戻し、両手を下ろして右足を引き戻して加重。

「確かな」 左、右と流しつつ、左足、右足と裏拍で踏んで進む。

「与勘兵衛じゃ、一人ゃ」 左に巻いて流しながら左足を裏拍で左、右足・左足で左前に進む。その反対で右前へ、反対で左前へ。

「アーしんしん信太の」 左手を左腰に当て、扇子は右肩に乗せ、その場でごく小さく右から交互に4回、外八文字を踏んで束足。

「森に住むではない」 早間にて右・左と流しながら右から2歩出て、右から交互に流しながら右足から交互に裏拍で4歩、その場で右回りに1周する。

「かいな、アラ実、与勘兵衛」 右に巻いて流しながら右足を裏拍で右、右足・左足で右前に進む。反対で左前へ、同様に右前へ、左前へ。

「一反畑のぼうぶらが」 右、左と流しつつ右足、左足と裏拍で進み、右に巻いて流しながら右足を裏拍で右、右足・左足で右前に進む。

「なる道ゃ知らずに這い歩く」 同様に、左、右と流して前へ、左に巻いて流して左前へ。

(三味線)

・右に巻いて流して右前へ、左に巻いて流して左前へ。

・両手を開き下ろして右足後ろに踏みすぐ左足に踏み戻し、扇子フセで右手を左前に下ろして右足を左足の前に踏み込みすぐ左足に踏み戻し、右足を後ろに引き加重、両手フセの作円で上げ決まる。

※このあと冒頭に返る際、一旦両手を下ろす。

 

B 津志河内・小島 左回りの輪(右手に開いた扇子)

(Aとほぼ同じ。省略)

 

C 泥谷 右回りの輪(右手に開いた扇子) ※Aと違い全ての足運びが表拍です

「ソコソコ、与勘兵衛坊主が」 両手を両側に下ろして左足をわずかに前に踏み、扇子フセで両手を左側で軽く交叉(扇子が前)して右足を左足の前に踏み込みすぐ左足に踏み戻して、右足を少し引いて加重、両手上げて作円にて決まる。その際、扇子はフセ→アケ→フセと右に横八の字にて最後のフセに移行するタイミングで上げ始める。左手はアケ気味にて上げ始め、半ばで手首を返してフセに移行し、両手が上がりきったところにてフセで揃うようにする。

「一人出た」 繰り返し

「ソコソコ」  両手を両側に下ろして左足をわずかに前に踏む。

「一人は」 両手を前に伸ばして扇子を軽く打ちつつ右足を前に踏んですぐ左足に踏み戻し、両手を下ろして右足を引き戻して加重、束足。

「確かな与勘兵衛じゃ、一人ゃ」 左手は腰に当てておく。扇子の面を立てて、右手を伸ばし気味にして胸の高さで左、右と振りつつ、その場で左足、右足と踏む。同様に、左・左、右・右、左・左。

「アーしんしん信太の」 左手はそのまま、扇子は右肩に乗せ、その場でごく小さく右から交互に4回、外八文字を踏んで束足。

「森に住むではないかい」 左手上・右手下から交互に上下して流しながら、右足から6歩、その場で右回りに1周する。

「な、アラ」 両手を右下から左下へ、フセで山型に流しつつ、右足を左足の前に踏みこむ。

「実、与勘兵衛」 扇子の親骨の中間程度の位置を両手でアケに持つ。左足から3歩小股で左前に進みつつ両手を上げていき、ストンと下ろす。その反対で右前へ。さらに反対で左前へ行くが、このときは3歩進んだら右足を右前向きに出し(左足加重のまま)、両手は下ろさずに高く構える。

「一反畑のぼうぶらが」 扇子の持ち方はそのままに右手を若干高くし、右に4回こね回すように仰ぐ。その際、右足を右前に踏んですぐ左足を右足の後ろに寄せて加重、右足を右前に踏み、左足に踏み戻し、右足に踏み戻す。全て小股。

「なる道ゃ知らずに這い歩く」 反対動作にて、足は左右、左、右、左。

(三味線)

・左手は腰に当てる。扇子の面を立てて、右手を伸ばし気味にして胸の高さで右・右、左・左と振りつつ、その場で右足・右足、左足・左足と踏む。

・両手を両側に下ろして右足を後ろに踏みすぐ左足に踏み戻し、扇子フセで両手を左側で軽く交叉(扇子が前)して右足を左足の前に踏み込みすぐ左足に踏み戻して、右足を少し引いて加重、両手上げて作円にて決まる。両手を交叉してからの所作は「与勘兵坊主が…」の箇所と同様。

 

 

 

●●● 与勘兵衛(その2) ●●●

 こちらは「その1」よりも平板な節で、その骨格は大きく違わないが野趣に富んだ印象を受ける。首句で言うところの「二人出た」の後に三味線の合の手が入る。三味線の手が全体的に早間で、賑やかである。

 

盆踊り唄「与勘兵衛」 佐伯市波越・府坂・竹角(下堅田) <小唄、二上り>

☆与勘兵衛坊主が二人出た(合) 一人は確かな与勘兵衛じゃ

 一人ゃしんしん信太の 森に住むではないかいな アラ実 与勘兵衛

☆ソレ 今年は豊年満作じゃ 庄屋もめぼしも百姓も

 猫もねんねんねずみも 猫もねずみもすりこのバチかいよ

☆ソレ 木立の庄屋さん何が好き 恥ずかしながらも唐芋好き

 今朝もねんねん寝起きから 赤い唐芋の焼き冷まし

☆ソレ 真実保名さんに添いたくば 榊の髷と偽りて

 七日なんなん七夜さ 怨み葛の葉と寝たならば

☆ソレ 私とお前さんの若い時ゃ 女郎か卵かと言われたが

 今じゃとんとん年が寄って 寺の過去帳にしっかとつけられた

☆ソレ 因尾の庄屋さんの町戻り 脇差ゃ割れたや 割れ豆腐

 それをつんつんつづらで それをつづらでしっかと巻きとめた

メモ:波越では、扇子を半開きで踊る。所作は易しいが、テンポが速いうえに継ぎ足を多用するので足運びがずいぶん忙しく、宇山の踊り方や泥谷の踊り方よりも覚えづらい。

(踊り方)

D 波越 右回りの輪(右手に半開きの扇子)

※この踊り方の「両手で扇子を持つ」とは、男雛の杓の持ち方に同じ。

「与勘兵衛坊主が二人出」 右手を上げて内に払いながら、右足を左足の前に左前向きに踏みすぐ左足を引き寄せ右足を右前向きに踏みかえる(早間でチョチョチョンと)。それの反対、反対で千鳥に進む。

「た」(三味線) 扇子をチョンチョンチョンチョンと4回叩きながら(右手を下へ、左手上へ~から交互に打ち違える)、左足から4歩で大急ぎで右回りに一周し、もう1回扇子を叩いて左足を前に踏み、右足に踏み戻して両手を開き上げて左足浮かす。

「一人は確かな与勘兵衛」 左足を前に踏み、両手を左下から上げて左フセ右アケで右に小さく捨てつつ、右足を前にトン(加重せず)。それの反対、反対にて継ぎ足3回で前に進む。

「じゃ」 右足を後ろに踏んで両手を開き上げて左足浮かす。

「一人ゃしんしん」 両手を両側に下ろして左足を前に踏み、両手で扇子を持って前に振り上げて右足を前に踏む。扇子から両手を離さずに前に下ろして左足に踏み戻し、そのまま両手を前に振り上げて右足を輪の内向きに踏み出す。

「信太の」 左手を扇子から離して両手を一旦下ろしてから前に振り上げ、両手首をクルリと返す。足は、左足から3歩、急いで左前向きに進む。

「森に住むでは」 右手の扇子と左手とを打ち違えてそのまま右手を上げて手首をクルリと返しながら、右足を右前向きに踏みすぐ左足を引き寄せ右足をさらに右前に踏みだす(早間でチョチョチョンと)。その反対動作で左手を打ち上げて手首を返し、左足・右足・左足と出るが、このときも右前に進んでいく。

「ないかいな、アラ」 両手を一旦下ろしつつ右足を左足の前に交叉して左前向きに大きく踏み出し、両手を振り上げて両手首をクルリと返しつつ右足を左前に踏み、体側にストンと下ろして左足引き寄せ束足(左足に加重)。

「実、与勘」 右足を前から引き戻して束足(右足に加重)、両手を右下から上げて左アケ右フセで左に小さく捨てつつ、左足を前にトン(加重せず)。それの反対。

「兵衛」 右足を後ろに踏んで両手を開き上げて左足浮かす。両手を下ろしつつ左足を前に踏む。

(三味線)

・両手を揃えて右上にチョンチョンと小さく流し上げつつ、足は右左右と急いで歩いて右に回っていく。その反対動作でさらに右に回っていき、反対向きになる(チョンチョンチョン、チョンチョンチョンと歩いて右に反転)。

・両手は高さを保ち、右、左、右、左と小さく捨てる。このとき、右足から3歩にて右に回っていき元の向きに戻り、4歩目は前にトン(加重せず)

・左足を前に踏む。右手はアケで、左手を扇子の上にフセ、ごく小さく下に2回振りながら、右手をトントン(加重せず)。右足を後ろに踏んで両手を開き上げて左足浮かす。

・両手を両側に下ろして左足を前に踏み、両手で扇子を持って前に振り上げて右足を前に踏む。(左手を扇子から離して)両手を両側に下ろして左足に踏み戻し、右足を後ろに踏んで両手を開き上げて左足浮かす。両手を下ろして左足を前に踏み、そのまま冒頭に返る。

 

盆踊り唄「与勘兵衛」 佐伯市石打(下堅田) <小唄、二上り>

☆アーソレ 与勘兵衛坊主が二人出た(合) 一人は確かな与勘兵衛じゃ

 一人ゃしんしん信太の 森に住むのが白狐 アラ実 与勘兵衛 ドッコイ

☆今年は豊年万作じゃ 道ばた小草に米がなる

 道のこんこん小草に 道の小草に米がなる

☆木立の庄屋さんは何が好き 恥ずかしながらも芋が好き

 朝もねんねん寝起きから 赤い唐芋の焼き冷まし

☆私とお前さんの若いときは 女郎や卵と言われたが

 今はとんとん年が寄って 寺の過去帳にしっかとつけられた

☆真実保名さんに添いたくば 榊の髷など結うわしゃんせ

 いかなしんしん新玉も よもや嫌とは言わすまい

☆弁慶坊主は荒坊主 生竹へし曲げてヘコに差す

 いかなきんきん金玉も いかな金玉もたまりゃせぬ

メモ:波越の唄い方によく似ているが、こちらの方がややのんびりしたテンポである。右手にうちわを持って踊る。文句は他集落と少し異なっていて、細かい言葉遣いの違いだけでなく、「弁慶坊主は荒坊主…」などの珍しい文句も残っている。波越の踊り方に少し似ているところもあるが、こちらの方がずっとのんびりした踊り方である。うちわをクルリと回して高くかざし、左足をサッと引き寄せるようなキメの所作がある。それがまたこの唄のおどけた雰囲気によく合っていて、なかなかおもしろい。

 

 

 

●●● 与勘兵衛(その3) ●●●

 ピョンコ節というほどではないが若干弾んだリズムである。「その1」や「その2」と違い、「与勘兵衛坊主が二人出た」と「一人は確かな与勘兵衛じゃ」を全く同じ節で唄う。全体的に、田舎風の印象を受ける素朴な節である。なお「その2」とは違って「一人は確かな与勘兵衛じゃ、ハーイーヤ」の後にも三味線の合の手が入る。

 

盆踊り唄「与勘兵衛」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、三下り、男踊り>

☆ソリャー 与勘兵衛坊主が二人出た(合) 一人は確かな与勘兵衛じゃ ハーイーヤー(合)

 一人ゃしんしん信太の 森に住むではないかいな アラ実 与勘兵衛(ソレ)

☆今年は豊年満作じゃ 庄屋もめぼしも百姓も

 猫もねんねんねずみも 猫もねずみもすりこのバチかいよ

☆木立の庄屋さんは何が好き 恥ずかしながらも唐芋好き

 今朝もねんねん寝起きから 赤い唐芋の焼き冷まし

☆真実保名さんに添いたくば 榊の髷と偽りて

 七日なんなん七夜さ 怨み葛の葉と寝たならば

☆私とお前さんの若い時ゃ 女郎か卵かと言われたが

 今じゃとんとん年が寄って 寺の過去帳にしっかとつけられた

メモ:踊りは手踊りで、同集落の「高い山」よりは手数が多いが、簡単な所作ばかりでそう難しくない。ただし、下記の通り「6歩進んで7歩目で束足」とか、手は変わっても足の加重は交互になるばかりなのが連続して都合12歩などとなることもあり、たいへん間違いやすい踊りである。

(踊り方)

F 西野 右回りの輪

「ソリャー 与勘兵衛坊」 左手下ろして右手アケで上げ、反対、左手下ろして両手フセで上げ、両手を体側に下ろす。このとき左足から3歩輪の向きに進み、4歩目にて輪の内向きにトンで束足(右足に加重)。※この所作のときは片足を踏んだら反対の足を浮かすと同時に、その側の手を振り上げるようにして歩く。以下同様。

「主が」 左手はアケで前へ、右手は右上にフセで構える。同時に左足を左に出して両足を肩幅に開く。

「二人出た」 その場にて、左手アケ右手フセで手拍子、上下入れ替えて手拍子、入れ替えて手拍子。都合3回叩く。

(三味線)~「一人は確かな与か」 左手で右の袖をとりつつ右手を握りアケに返して肘から先を前に出し、反対、反対、反対。この手に合わせて輪の向きに進んでいく。左足を前へ、右足・左足と小さく前へ。これを反対、反対、反対で、継ぎ足の連続で進む。

「ん兵衛じゃ、ハーイーヤー」~(三味線) 右手アケで上げ、反対、反対…と両手交互に5回上下で6回目は両手フセで上げ、両手を体側に下ろす。このとき、左足から6歩でその場で右回りに1周してさらに右に回り輪の内向きになり、左足を引き寄せ束足(左足に加重)。

「一人ゃしんしん信太の」 左手で右の袖をとり、右手を右上に振り上げつつ右足を右に踏み、右手首を返して払いつつ左足をトン(加重せず)。それの反対、反対。

「森に住むではないかいな」 右手アケで上げ、反対、反対…と両手交互に5回上下で6回目は両手フセで上げ、両手を体側に下ろす。このとき、左足から6歩輪の向きに進み、7歩目にて束足(右足加重)。

「アラ実、与勘兵衛、ソレ」 左手で右の袖をとり、右手は握ってフセにて前、右後ろ、前、右後ろと振る(最後は後ろにはね上げるように)。このとき、左足を前に踏み、右に踏み戻し…と足はあまり浮かさずに交互に加重するが最後のみ左足を浮かす。

(三味線)

・左手下ろして右手アケで上げ、反対、左手下ろして両手フセで上げ、両手を体側に下ろす。このとき左足から3歩前に進み、4歩目にて束足(右足に加重)。

・左手で右の袖をとり、右手は握ってフセにて前、右後ろと振る(後ろは、はね上げるように)。このとき、左足を前に踏み、右に踏み戻して左足を浮かす。

・左手下ろして右手アケで上げ、右手下ろして両手フセで上げ、両手前に振り、両手後ろに振り上げる。このとき、左足から3歩進み、右足に踏み戻して左足を浮かす。

・左手下ろして右手アケで上げ、反対、左手下ろして両手フセで上げ、両手を体側に下ろす。このとき左足から3歩前に進み、4歩目にて束足(右足に加重)。

・右手は腰に当て、左手フセにて左前に出し小さく下に4回振る。このとき左足から4歩で右回りに1周する。

・左手下ろして右手アケで上げ、反対、左手下ろして両手フセで上げ、両手を体側に下ろして右に小さくはね上げる。このとき左足から3歩進み、4歩目にて輪の内向きで束足からすぐ左足を浮かす。このまま冒頭に返る。

 

 

 

●●● 与勘兵衛(その4) ●●●

 これは「その2」のうち石打の節とよく似た節ではあるが、全体的に高調子で、首句でいうと「森に住むでは」のところが完全に陰旋化している。また、各節末尾の「アリャ実、与勘兵衛」のあとは間を置かずに、すぐ次の文句にかかる。

 

盆踊り唄「与勘兵衛」 佐伯市黒沢(青山) <小唄>

☆与勘兵衛坊主が二人出た ヨイ(合) ソレ一人は確かな与勘兵衛じゃ

 一人ゃしんしん信太の 森に住むではないかいな アリャ実 与勘兵衛

☆お前さんと私の若い時ゃ 芸者や卵と言われたが

 今じゃとんとん年が寄って 寺の過去帳にしっかとつけられた

メモ:現状は不明だが、民謡緊急調査の音源では太鼓のみの伴奏で唄っている。そのため、本来は三味線の合の手が入っていたであろう箇所も太鼓で間をとっている。