七島の由来

七島藺とは、大分県の名産品として県下一円、特に国東半島で広く栽培されていた藺草の一種で、普通「しっと」と呼んでいた。かつては農家に割台(わきだい)や七島機(しっとばた)などがあり、収穫した七島藺を家庭で割き、ムシロに織って10枚ずつをまとめて仲買人に売っていた。農家の貴重な現金収入源だったのだが、七島の栽培は大変な重労働で、しかも一本ずつ割いて織るのも手間がかかるので、「豊後の貧乏草」などと自嘲気味に呼ばれていた。昭和40年代より下火となり、現在では安岐町に僅か数軒を残すのみである。この口説は、七島藺の栽培が廃れた現在でも杵築市周辺で耳にすることがある。

 

 

七島藺の由来

 

山紫水明風清らかに 住んで心地の良いこの里に これは皆様ご存知なさる

豊後で名高い貧乏草の 今じゃ百姓の宝となった 七島表の話がござる

さても由来を尋ねてみれば 時は寛文三年頃よ 当時府内に住まいをなした

見通し明るき商人ありて 姓は橋本名は五郎右衛門 彼はあるとき薩摩に遊び

初めて莚を見て喜んで 作り方をば習わんものと 土地の百姓に尋ねてみたが

なかなか教えちゃくれない程に とうとうやむなく国にと戻り 兄に語りて申さるければ

これを豊後に植えたるならば きっと利益のあることならん 話聞きたる八郎兵衛は

よき事なりとて励ましければ 再び一人で琉球に渡り 七島藺をば持ち帰らんと

あれやこれやと思案をしたが 譬え一本の藺草じゃとても 絶対分けてはくれませぬ

致し方なく五郎衛門 竹の杖をばこれ幸いと 苗をひそかに中にと入れて

ようやく国まで隠して帰り 早速これをば植えてはみたが 作る方法の分からぬために

離れ小島の琉球の果てで 苦心こらして手入れし苗を 遂に枯らして残念至極

しかし不屈のかの五郎衛門 こんなことにて驚くものか 又もや遥々琉球に渡り

あらゆる困苦と戦いながら 数十日間滞在なして 今度は詳しく研究を重ね

再び苗をば持ちてぞ帰る 首尾よくこれをば栽培なして 今じゃ遍く広がりたれど

これも商人かの五郎衛門 尊い遺業のお陰でござる